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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第八章 シャンカラ」(p153〜174)を読みました。

本当は存在しないはずの「自我」。これを断捨離する。

《以下引用(p166)》
まず、実際に存在しないものをどうやって捨てるというのか。また、それでは自我を捨てましょうと、これ努めるのも同じ自我であってみれば、益々自我は肥大化してゆくばかりであろう。しかしこの不可能に道を開いたのが宗教であった。自我を放棄する直接の方法はない。如何なる努力も自我にエネルギーを注ぐことになるからだ。そこで不二一元論の哲学は、否定の道(Via Negativa)をとる。「私は誰か」と問いながら、Neti(私はこれではない)、Neti(私はこれではない)と外側(肉体)から、内側(心)へと否定を重ねてゆくのだ。…

ともあれ肉体でも心でもなければ、一体「私」は何であろうと、更に問うていくのだ。すると「私」という想念が立ち昇る意識の深層に到達する。それはあなたの経験や知識からなる記憶の貯蔵庫であり、進化のプロセス全体を含む集合意識である。この無意識の浄化と超越の中で、やがて「私」という意識(自我)が消え去る瞬間が訪れる。そこは多くの神秘家が表現の形式は様々であるが無(空)と呼んだものであり、そこではあなたの自我は自然に消え去る。
《引用終わり》

「空」の理論が否定的であることは、以前も「龍樹」のところで出てきました。

否定して、「私」というをふり払っていく…

《以下引用(p167)》
さて、真我の復活といっても、新しい何かになるのではなく、あなたの本性へ回帰したまでのこと。これはよく理解されねばならない。真我はあなたが達成したり、獲得するといった性質のものではなく、あなたの既得権であり、転生するあなたとは何の関係もない。…

宗教とは奇妙な要請である。あなたが達成(探求)しようとしているものと、すでに達成されているものを区別し、無達成の達成を説くのであるから。

あなたは何を達成する必要もない。あなた自身であればよいのだ。
《引用終わり》

この延々とつづく否定の旅は、「何を達成する必要もない。あなた自身であればよいのだ。」という大きな肯定へと、最終的には行き着く。

《インデックス》