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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第八章 シャンカラ」(p153〜174)を読みました。

可藤さんの神に関する考え方は以前にも記述がありましたが、今回の内容は私が以前「祈り」に関して抱いた疑問にはっきりと答えた形になっているので、引用します。

《以下引用(p165)》
神に祈るとはどういうことか、よく考えてみる必要がある。あなたが神に祈る幸福(平和)が、あなたの夢に過ぎないとしたら、それに応える神など存在するだろうか。一体この世は夢から成り立っている。そんな果敢なくも消えゆくものに神は何のかかわりもない。あなたの願望や期待にそう神などいやしない。それなのに人は神(宗教)は、この現実に対して無力であり、何の意味もないなどという。この世界を何処かで支配し、時には愛の手を差し伸べてくれる神などいない。むしろ手を出し、口を挟むことによって益々混乱を来しているのはあなた自身なのだ。祈りが空しいのではない、あなたの夢(願望)が虚しい幻想なのだ。ある意味で、あなたは祈ることなどできない。どんな祈りもあなたの願望の反映であり、さらに幻影を造り出すことになるからだ。それはまた、夢がかなえられるかどうかという問題でもない。すべての夢から目覚め、一元性の世界へと帰りゆく。これこそあなたにかけられた神の唯一の祈りなのだ。
《以下終わり》

神聖であるはずの神に、俗っぽい願い事を頼み、これまた世俗の象徴たる金を積むなんて・・・どういう神経をしてるんだ?と疑問に思うのですが、これが何百年と続く世俗の習慣なわけです。

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