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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第八章 シャンカラ」(p153〜174)を読みました。

シャンカラの名前も今まで何度もお目にかかったような気がするのですが、残念ながらブログ内検索では検出されませんでした。

シャンカラは、686(?)年、南インドのバラモンの家系に生まれ、33年という短い生涯ながら、不二一元論(アドヴァイタの哲学)の理論大成者として、今日まで多大の影響を及ぼしている…と紹介されています。

《以下引用(p157)》
シャンカラの哲学は、生(主客分裂以後の生)を深い眠り(susupta)、夢見(svapna)、目覚め(jagarita)の三つの状態に分ける。深い眠りの中では「私」はいないが、夢と目覚めの中では「私」が現われてくる。…

三つの状態は、意識の相違としても理解することができる。それを便宜的に、無意識、潜在意識、(現象)意識というように区別してみよう。…

夢の世界は潜在意識の「私」が見ている世界であり、目覚めた「私」の意識が見ているのが現実といわれるこの世界なのだ。いずれの場合も、「私」が立ち現われると世界もそこにある。しかも意識の相違から、世界も異なる様相をとって現われてくる。ただ深い眠りの中では「私」が殆ど意識されていないために世界もまた現われてこない。その場合でも、過去から現在に至るまでの経験や知識の巣窟である意識の連続体(集合無意識)は、進化のプロセス全体を包みながらそこにあると考えるわけだ。

次に、意識と身体の関係はというと、経験からも分かるように、あなたは身体を夢と目覚めの中で自覚することになる。…夢の中では、単なるイメージにすぎない形姿(subtle body)を自分と考え、目覚めの中では、言うまでもなく肉体(gross body)を自分とみなすという違いがあるだけ。もし「私」という意識がなければ、身体も自覚されない。だから無意識の深い眠りの中では身体もまた現われてこないのだ。だからといって全くないとは言えない。なぜなら粗大身と微細身がそこから現われてくる原因になっているからだ(causal body)。

要するに身体は「私」という意識に伴って現われてくる。ところで「私」という観念が生じてくる根底には集合意識があるとしたのであるから、この無意識が存続する限り、繰り返し「私」は立ち現れ、それに伴って身体や世界も様々な形をとって現われてくることになる。

この連続体こそ、あなたの過去のすべての経験や知識を蔵し、つまり記憶の貯蔵庫として、現在から永劫の未来へとあなたを駆り立ててゆく根本原因なのだ。勿論、肉体はいつか朽ち果てるであろうが、この連続体まで終ってしまうのではない。
《以下終わり》

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