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「ちょうどの学習×ちょうどにする指導」の「これからの教室はどう創るか」(p133〜228)の「もろ刃の指導の点検」(p215〜228)を読みました。(小林教室収蔵

《以下引用(p213)》
さきに中一生の「学力診断テスト」の例を出したが、この生徒の出発点はF−121であった。この生徒は三ヶ月もしないうちに学年を越えてH教材(中二相当)に進んでいる。おそらく半年もたてば「Iライン」を突破していくはずである。しかし、もし、この生徒にはD教材もE教材も必要な教材であるとして、さきの見通しもないまま、いたずらに復習を重ねていたとしたら、どうなっていただろう。中学生のときも学年を越えられず、高校生になれば、ますます学年に追いつけなくなる。これではたしてこの中一生は満足して学習に励んでいくであろうか。否定的にならざるを得ないのである。
《引用終り》

学習は、少しずつ着実であればいいというものではないようです。

《引用(p220)》
公文式のある指導者K氏が、自分の教室の生徒のI教材修了生の成績は、みなトップクラス、どこに出しても恥ずかしくないレベルに達している、と講演した。これを聞いた斉田先生は、「へぇ、ウチの生徒のI 教材のレベルなんて、やっとこさのI 教材ばっかりだわ。スイスイできる生徒もいれば、フラフラのI 教材もいる。みんなバラバラよ」。もちろん先生の言いたいことは、I 教材のレベルがどの生徒も同じで、ピカイチなんてウソ、ということである。

教室の価値を決める学習効果の多寡は何によって決められるのか。K氏はどこに出しても恥ずかしくない均一の学習効果であるといい、斉田氏はこれを否定する。K氏は教室の看板をだいじにするが、斉田氏は目のまえの生徒の学習そのものに目を向けている。

この点、学校は正直である。同じ教科書で、同じ先生が、一斉授業でどの生徒にも同じように指導し、そして、定期テストでもすれば、なんと0点から100点まで、それこそ一人ひとりの生徒の学力に大きな差が出ることを隠そうともしない(恥ずかしいことだが)。
《引用終わり》

常識的見方をすれば、K氏のような指導が理想的なように思われます。でも、これは物を作るような指導ではないかと私は思います。工業製品やスーパーに出荷する農作物を作るような指導。

全ての生徒が同じように能力を身に付けていき、出荷試験のように「終了テスト」を行い、生徒の学力の歩留まりを管理するような教室運営。そういう仕事(品質管理など)に明け暮れる保護者にはきっと受けがいいでしょう。

でも、子どもは生き物なのです。スーパーに並ぶ野菜のように、皆が同じでいいわけがありません。

《引用(p221)》
一教材を終えると、現在では教材ごとの「〜教材終了テスト」というものがある。この「終了テスト」には時間と得点から、成績を儀押↓況押↓祁押↓厳欧吠け、況屋幣紊鮃膤福△修谿焚爾鷲垤膤福△修靴読習を義務づけている。なかには、「儀欧任覆韻譴亶膤覆砲靴覆ぁ廚箸いμ埃圓發い襦K氏はこの猛者の一人なのだろう。…

K氏はみずからがI 教材の到達レベルを同じにする監督者の立場になっている。そんなに何回も復習せずに進めた生徒は相当数いたにちがいない。そうした生徒は教材の進度が上がるにつれて、定着度合いが高まっていく自分の学習をみて、きっとおどろいたはずだ。「なんだ、こういうことだったのか。あのときはわからなかったけれど、やっとわかったよ」、と。終了テストでの高得点だけをめざす教室の指導とは、生徒一人ひとりの学力の向上をどのようにはかっていくのかという視点がまるでない。まさに塾の専売特許、合否判定テストのお通りなのだ。公文式はいわゆる進学塾でも受験塾でもないが、こうした塾まがいの教室もまたあるということになる。
《引用終わり》

そのときはわからないけれど、その先を学習することで前のところがわかるということがあります。理解の順番は個人個人で異なるはずです。教科書や教材の順番通りに理解するのがベストだと断じることはできないはず。しかしK氏の指導は、まさにこれを断じているのと同じです。

目の前の試験対策だけの塾ではない公文式だからこそ、現在のわずかな不完全よりも、先に進む明日の可能性を選ぶ指導ができるのかもしれません。K氏の指導は、公文式の大きなメリットのひとつを活かしていないと言えます。

《引用(p223)》
「終了テスト」は、合否判定テストでも、復習を義務づける習熟度判定テストでもない。あえていえば、教材とは観点をかえて、生徒の学力の実態をいっそうくわしく診るためのものである。一枚一枚の教材は自習が可能になるように配列されてある。だからできるが、これがまとめてランダムになると、とたんにできなくなる生徒はいる。低学年では少なくない例である。しかし、こうした生徒であっても、ほんのすこし導入を入れればすぐに「あっ、そうだった」と解き出す生徒が多い。再テストをすれば満点という生徒もいる。同じ教材を学習しても生徒間にこうした能力差のあることを指導者が知ることは、指導においても大いに意義がある。「終了テスト」をたんなるテストに終わらせることなく、そのテスト内容を精査すれば、「終了テスト」もまたりっぱな教材の役目を果たすのである。…

斉田先生に復習という考え方はない。考え方の基本は、次に生徒が学ぶ教材に生徒自身が自分の未知なる能力を発揮させて、いわば、身体全体でぶつかっていける準備ができているかどうか、その実態を診ることにある。足りない部分は補強しなければならない。足りない部分がなければ、そのまま進ませる。必要あってこそ復習は意味をもつ。無意味な復習はしない。
《引用終わり》

斉田先生は、「終了テスト」も、無意味な出荷試験にはしていません。

《インデックス》

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