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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第七章 ジャラールッディーン・ルーミー」(p131〜151)を読みました。

ルーミーという名も、これまで何度も出会っています。例えば、こんな引用…
…愛情ですら二元論の源である。そして、二元性の跡もなく、純粋一元性の世界も存在する。とすれば、その一元性の世界に到達した人は、愛も憎しみも共に超えた人でなければならない。その世界には二元性の入る余地は全然ないのだから、そこに至った人は完全に二元性を超越しているはずである。従ってまだ二元性の支配していた最初の世界、つまり愛情や友情の世界は、今やその人が移ってきた一元性の世界に比すれば、どうしても低級と言わざるを得ない。(『ルーミー語録』)

または、こんな解説で…
仮我の狭い境界を超え、宇宙に遍満する「法界の大我」という考え方は、容易にイスラーム神秘主義の「普遍的人間(al-insan al-kamil)」を思い起こさせる。この考えを受けてルーミーは、人間を世俗的人間と霊的人間の二種類に分け、それぞれミクロコスモスとマクロコスモスを当てる。彼は「普遍的人間」をマクロコスモス、すなわち時間と空間を超えた存在と捉え、それをわれわれ人間が達成すべき「完全な人間」と見なしている。

または、こんな引用も…
世間でいう学問とか技能とかは、いずれも海水を茶碗で量るようなもの。あらゆる技術で身を飾り、金もあり顔も綺麗だが、一番大切な「あのもの」を欠く人がたくさんいる。反対に、見かけはいかにも見すぼらしく、美しい言葉も力強い言葉も喋れないが、永遠不滅の「あのもの」だけは持っている人もいる。それこそは人間の栄光であり高貴さの源であり、またそれあればこそ人間は万物の霊長なのである。もし人間が「あのもの」に辿り着けさえすれば、それでもう己の徳性を完全に実現したことになる。が、もしそれができなければ、人間を真に人間たらしめる徳性とは縁なき衆生だ。(『ルーミー語録』)

そしてまた、こんな解説…
ルーミーが無になりなさいと言うとき、あなたが心の本源へと深く辿ることによって、このメタ宇宙的な無の空間('adam)に到達するならば、あなたの中で自然に古い人から新しい人への変容が可能になるという意味である。…

一元性の世界に到達した人、普遍的人間、マクロコスモス、完全な人間、メタ宇宙的な無の空間に到達した新しい人間…これらがキーワードとなりそうです。

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