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「ちょうどの学習×ちょうどにする指導」の「これからの教室はどう創るか」(p133〜228)の「見通しは指導の命綱」(p192〜215)を読みました。(小林教室収蔵

「頭をよくする」という学習評価の基準は、何であればよいか?公文式の場合、「見通し」であるという。

わからなかったことがわかるようになった…これが一般的な学習評価だと思う。視点が後ろ向きではあるが、これまでの実績を以って評価するわけだから後ろを向かざるを得ないのは仕方がないと思う。

それに対し、「見通し」で見るというのは前向きである。「頭をよくする」とは、「見通し」の上方修正をめざすこと…子供の可能性(ポテンシャル)を上げること…。

《以下引用(p197)》
斉田先生が「頭がよくなったねえ」というのは、生徒の学習状況が変わる、子どもが変わること、すなわち、この「見通し」が変化したことをとらえていう言葉なのだ。学力とか能力とかの定義をあくまで一時点における成績の上下でみる従来型の学習評価と、この見通し設定による個人別の指導方法とは、似て非なるものである。いまだ目にしない、これからさきの学習状況を示すこの評価軸を小浜氏など、教育評価を固定的に考える人たちがどう判断するか。おそらく一定のカリキュラム、一斉式の授業を唯一の教育の形として考える人には、なかなか理解が得られないのではないか。尺度自体が個人別なのであり、しかもその尺度が変化するのである。恣意的に決められた基準にもとづいて定点観測した成績だけで頭のよしあしをみようとするだけでは、生徒の成長の度合いを追うことはできない。頭はよくならないと思うのもいたしかたないことかもしれない。
《引用終り》

小浜氏とは、『頭はよくならない』(2003)を書かれた、評論家小浜逸郎氏です。本書p194参照。

「頭がよくなる」のか「学力が上がる」のか「可能性が高まる」のか…私としては、それよりも、学習評価の尺度が個人別で、しかも時々刻々変化するというところに興味を惹かれました。

全国統一の不動のモノサシがあって、どのカエルがどこまでジャンプしたかを測るような学習評価ではないというところに。

《インデックス》

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