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「ちょうどの学習×ちょうどにする指導」の「これからの教室はどう創るか」(p133〜228)の「ちょうどの学習に必要な二つの目」(p165〜192)を読みました。(小林教室収蔵

著者は指摘しています。われわれは「学年を越えてもなお自学自習できる生徒を育成するためには、どのような指導をおこなう必要があるのか」という問いかけをやめた方がいいと。「学年を越えても自学自習できる教室にするためには、教室はどのような準備をしておくべきなのか」という問いかけに変えた方がいいと。

それは、一人一人の生徒にべったりと寄り添うことではなく、どちらかと言えば少し距離を置くことのようにも感じられます。そうすることで、生徒の自立を促すとともに、教室の回転も速くすることができる。

《以下引用(p184)》
まず留意しなければならない第一は、学習中の生徒が「ちょうどの学習」になっているかどうかを、いつも把握できる教室にすることである。…

生徒が解いた教材に対しては、即座にそのフィードバックができているか。この「ちょうどの学習」の場は学年を越えた学習が常時、実現している場である。フィードバックに手間どっていては指導がおくれてしまうから、学習も停滞する。…

採点による即時のフィードバックが必要になるのは、まさに学年を越えた学習者が多くなってきたときである。本日分の全部の学習が終わるまで待つとしたら、長い時間がかかるし、なにせはじめての教材である、生徒はまちがいをくり返す。一題さきの問題さえできない場合もあるのだ。
《引用終り》

間違えた時は指導者がその間違えた問題を説明したり解説したりする、学習導入時に例題を用いて十分に説明する、採点をプリント一枚ずつの「一枚採点」にする、…といった対策は定常化してしまうとどんどん余計な指導が発生して、教室運営はできなくなる。

《以下引用(p186)》
「ちょうどの学習の場」を創出するためには、生徒一人ひとりに着目するという常識をまずは克服する必要があるのだ。

斉田氏の教室は、生徒一人ひとりに目をくばることなど、しない。
《引用終り》

これは、コペルニクス的転換…

《以下引用(p187)》
生徒全員が学年を越えた教材の学習をしている、この状態をまずイメージしてみよう、そして、そのための準備を教室の場にととのえる、ここにポイントがある。学年を越えているのが全員である、ということは、指導者の指導を精密にして、一人のもれもなく指導にはげめ、獅子奮迅の指導をしろ、という意味ではない。その反対である。

学年を越えて自学自習している状況を想定して、まずは採点を指導の基礎資料として、この基礎資料の観点によって生徒全員の学習状態を看るようにする。そうすれば、おのずと、学習が「ちょうど」でない生徒がうきあがってくる。このうきでた生徒に対して、「ちょうどにする指導」をおこなう教室にするのである。「ちょうど」でない生徒は全体からみれば、わずかな人数である。この生徒を見出して指導をおこなえば、「ちょうどの学習」の場はさらに純度が高まる。その「ちょうどの学習」の場に指導を加えた生徒をもどすのである。直接に指導をする生徒はそんなに多くない教室にしなければならない。この指導が先なのだ。
《引用終り》

《インデックス》

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