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「ちょうどの学習×ちょうどにする指導」の「これからの教室はどう創るか」(p133〜228)の「ちょうどの学習に必要な二つの目」(p165〜192)を読みました。(小林教室収蔵

《以下引用(p176)》
「ちょうどの学習」がおこなわれるようにするのがアシスタントの仕事である。その方法は簡にして要。すべては採点が中心軸になる。採点が満足にできなければ、学習が「ちょうどでない」生徒を見つけることはできない。満足な採点には生徒の学習が順調におこなわれるだけの速さと正確さが必要になる。
《引用終り》

子どもの背筋の伸び方、手の動き、を観察しただけでは生徒の学習が「ちょうど」であるかどうかなど分かるはずがない。学習中の生徒に「わかる?」と聞いただけでは生徒の実態などつかめるわけがない。

《以下引用(p176)》
むしろ、わからない、という立場に立つべきなのだ。生徒の学習の実態は生徒が解いた教材を診なければわからない、採点をしてみなければわからない、という人こそ、教室のアシスタントはふさわしいし、指導者もまた、そうであってほしい(はやりのe-ラーニングの失敗は、この採点の簡略化に原因する)。
《引用終り》

しかし、この採点においても「ちょうどでない」という危険を発見できるだけである。この危険を察知して指導者に知らせるまでがアシスタントの仕事の領域となる。

《以下引用(p177)》
…「ちょうどにする指導」を担当するのが指導者の仕事の領域である。アシスタントから「ちょうどの学習」でないとして知らされた生徒に、指導者は「ちょうどにする学習」を試みる。見ていただけでは、なお生徒が「ちょうどの学習」にあるかどうかはわからないからである。その一枚の教材に表現された生徒の学習を分析し、指導を始める。どこに問題があるのか、この問題のまえはだいじょうぶか、こうした指導がじょじょに生徒の学力の実態を明らかにしていくのだ。おそらくここでの指導をかさねるたびに生徒自身のうちにある内言の世界の声を聞くことになる。はたして生徒は腑に落としているか、そうでないか。

対処の方法としては、もちろん同じ教材をくり返して「ちょうどにする」のは適切な生徒の場合もあれば、いまの教材から大きくもどって「ちょうどにする」生徒の場合もある。しかし、指導者にはさらにもう一つ別の方法がある。生徒にこのまま進んでいくに必要な準備をしたうえで、さきに進ませ、いま現在「ちょうどでない」、いまの教材を「ちょうどにする」方法である。
《引用終り》

いま学習している内容を体系的に捉えるには、もう少し先に進めて、違った方向から見つめるという方法もある、ということでしょうか。

《以下引用(p178)》
まことに「ちょうどにする指導」は、幅が広いし、奥行きがふかい。幅が広いとは指導者が選択する指導がかぎりなく広がることを意味する。すなわち、指導者の幅が広いのである。こうした責任を感じつつ、この目の前にいる生徒には、どのような指導がもっとも、この生徒の発達に意味があるかを考え、そうして確信的な指導を発するのが指導者の務めになるのである。どう考えても、これはアシスタントの仕事とは領域がちがう仕事なのだ。
《引用終り》

《インデックス》

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