「新・ヒトの解剖」の「解剖の秘密」(p8〜28)を読みました。(小林教室収蔵

大学で行われる人体解剖は、献体という制度の下で、生前に本人が希望され、なおかつ遺族の反対も無い場合に行われます。

《以下引用(p12)》
死刑囚や行路死亡人を解剖していた時代とちがい、今では解剖体のほぼ100パーセントが篤志家によって提供されるようになり、解剖学実習の雰囲気が大きく変化してきている。すなわち、実習にのぞむ学生も教師も、「よい医師・歯科医師になるように私のからだを使って勉強してください」という献体者のご遺志むくいようと、感謝の気持ちをこめ、その期待にこたえる責任を自覚するようになったのである。それはそのまま、学生が将来医師になったさいに、患者さんにたいする思いやりの気持ちにつながることが期待されるからである。
《引用終り》

実習の時には、身体を提供して下さったこの方は生前どんな生活をされていたのだろう、と思うことがありました。医療関係の仕事に就いていた方がやはり比率としては多いだろうと、大学の先生がおっしゃっていました。この人、ひょっとして生前はドクターだったのだろうか?とか思ったりもしました。

顔には白い布はかぶせてありましたが、チラリと一瞬だけ取れて、お顔が見えた時がありました。その映像は、しばらく目から離れませんでした。

死刑囚だったと言われれば、解剖する方も穏やかではないはずです。死んでからもなお切り刻まれるということになれば、解剖実習も刑罰の一部のように思えてきたりします。行路死亡人だったということになれば、とてもとても気の毒でなりません。

しかし、本人の遺志であったということになると、しかも医療関係者だったとなれば、解剖実習の実態もある程度理解した上での希望なわけです。その上で、これから医師になろうという人たちのために我が身を捧げようというお気持ちには敬服しましたし、「ただただありがたい」という感謝の念を感じた覚えがあります。

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