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「ちょうどの学習×ちょうどにする指導」の「これからの教室はどう創るか」(p133〜228)の「どこに価値をおいた教室をつくるか」(p134〜144)を読みました。(小林教室収蔵

バベルの塔の建設に邁進していた人々に、神がそれぞれに違う言葉を話させた瞬間、人々は建設を止めて、世界各地に散っていった…そんな逸話が現実化したのではないか。

高度経済成長という塔をみんなで一緒になって造っていたはずの人々が、それぞれに異なる価値観を持ち始め、言葉の使い方や意味まで多様化してしまい、家庭とか職場とか社会の様々なところで言葉が通じなくなり、心も通じなくなっていきました。

私が、社会に出て、それに気づくよりもずっと前に、公文氏はそれに気づいていたようです。

《以下引用(p134)》
1983年といえば、例の「オレ様化した子どもたち」が登場し、国の教育行政にあっても中曽根首相がすすめる臨教審において新保守主義的な政策がさかんに議論されていた時代である。グローバル化の波がおしよせ、わが国にも聖域なき構造改革の声が聞かれるようになったのもこの時期だった。世の中の価値観が多様になり、子どもたちは以前のようにひとくくりして語れる存在ではなくなっていたのである。

公文氏は時代の動きに敏感な人であった。このとき、すでに「優秀児をつくる」時代は終わったと感じていた。だから、「可能性を売る」仕事への転換を指示したのである。
《引用終り》

「可能性を売る」仕事への転換、ソフィスト伝での該当箇所はこちらです。

《以下引用(p136)》
社会が変われば、親たちも変わるし、子どもたちも変わる。自分より上には三学年先、四学年先……そして、最終教材学習者がいるが、それがどうした、自分には関係のないことだ。それぞれの都合でいまは教室に同じようにかよっていても、その気持ちには他からはおしはかれないほどの違いが生じている。高進度をめざすというスローガンは通じない。時代は移り、高進度はめざすべき対象ではなくなった。最終教材というエサを目の前にぶらさげても、みんながこれを求めて走り出すとは限らなくなっていたのである。
《引用終り》

ただ、多様化を悪いことと断じることはできません。従来の余り工夫の無い画一的教育が通用しなくなったというだけのこと。社会としては成熟してきたということでしょう。教育は、それに追随していかなければなりません。

公文氏は、自分のやり方を改めることにためらいを持つ人ではありませんでした。

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