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「ちょうどの学習×ちょうどにする指導」の「特別研究生、その後」(p9〜132)の「斉田先生の教室で行われていたこと」(p90〜109)を読みました。(小林教室収蔵

公文は、算数を、英語を、国語を教えるのではない。算数で、英語で、国語で、自学自習を教えるのである。という言い方をします。

《以下引用(p98)》
質問があった場合、生徒はアシスタントに訊いたりしないし、できないのが教室のルールである。自分で席を立って指導者に訊きに行くことなど、もちろん、ない。質問があれば手をあげる、そんなこともしない。机のあいだをまわりながら質問のありそうな生徒を見つけ出すのか。そんなバカな!できなくなれば、だれかが助けに来るまで、机にうつぶすなど、とんでもない。斉田先生は何もしない。生徒は教材を自分で解くしかない。だれも手伝ってくれない。例題を見てあげたり解答へのみちびき方を教えるのでもない。「自学自習」で問題にぶつかることを指導するのだ。
《引用終り》

これは、言うほど簡単なことではありません。

《以下引用(p99)》
指導をうけた生徒が自分の席にもどって、自学自習で教材に立ち向かう。そして、その学習の結果を先生が確かめる。自学自習で確実に学習ができたことを確認するまでの指導をおこなうというのが、「指導の徹底」なのだ。指導の徹底度合いを高めるとは、このことである。先生は生徒が自習でできるかどうかを判断して、自習ができるまでの学習範囲を指示する、そして、自分の席での学習が終えたら、ふたたび生徒は先生のもとにくる(アシスタントへではない)。そう先生が指示を出しているから、このときは自分で来る。自習でできるかどうかが確定できないときは、どうするか。自学自習が可能な範囲だけを指示する。どこまでなら可能かを看る。どれだけならできるか、その範囲は個人別である。半ページのこともあるし、それ以下のこともある。数ページにわたる場合はもちろんある。生徒の自学自習力に差があるのだから、その差をはかって指示を与えるのである。きょうの学習課題がひとりで自学自習できるように指導を貫徹するのだ。きょうはここまでを確実にマスターさせたい、そのときの先生のイメージは、教室での一定時間、生徒自身が自学自習できることである。このためだけに、斉田先生の指導は大車輪にうごく。
《引用終り》

斉田先生の指導の輪郭が、少しずつ見えてきました。

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