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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第三章 エックハルト」(p51〜69)を読みました。

おそらく、この本を最初に読むと何のことやら分からないかもしれません。しかし、前出の2書(『瞑想の心理学』『自己認識への道』)を読んだ後ですと、この本の文章は抜群にいいですね…。

《以下引用(p53)》
人間が神の永遠の中に存在していたとき、彼の中には如何なる分裂と転倒もなかったとエックハルトは言う。その時、人間は完全な Eins としての存在(本質存在)し、何ら欠けるものはなく、それ故に外に求むべき意志も欲望もなく、死の運命や悲惨のうちにもいなかった。神の栄光の中で人間は、自己自身と万物を動かす不動の原因であったのだ。

ところが人間は、自由意志の行使によって、この根源から外へと出て行き、神から流出したとき、被造物というもう一つの存在(偶然存在)を受け取ったのだ。そして人間はここに被造物の原因としての神を持つことになった。というのも、被造物が存在しなかったときには、神はまだ神ではなく、一度も知られたことが神性の秘かな闇であった。しかし被造物が造られたとき、神はもはや本来の神ではなく、被造物における神となったのだ。それ故、もし私が神からの流出を望まなかったならば、私は被造物として時間的に存在することはなかったであろうし、私にとってすべての被造物も存在しなかったであろう。そうして私が存在しなければ、被造物の原因としての神もまた存在しなかったのである。神が神であることの原因は私なのである。
《引用終わり》

自他という、最も根本的と思われる区別の前に、神と自分という区別がある。神が私を造ったというよりは、私が神の原因を作った。

何だか、とっても新鮮な表現です。

《つづく》