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「ちょうどの学習×ちょうどにする指導」の「特別研究生、その後」(p9~132)の「教育の現場とは」(p10~43)を読みました。(小林教室収蔵

この本の冒頭で出てきました斉田先生を中心とした会が「Mの会」です。

《以下引用(p39)》
「Mの会」においても、メンバーの先生からは佐世保のような殺人事件にまでは至らなくても、けっこうこうした事件があることを知らされた。20年30年と教室をやっていれば、いろいろな出来事にも出会う。学校での事件はいやでも耳にはいる。メンバー自身の子どもがひどいいじめにあった実例がなまなましく語られたこともあった。その先生は、学校へも教育委員会へも、またいろいろな相談窓口などにも出向いたという。そして、「最後は、この子を守るのは自分しかない」と腹をくくる局面にまでなった。こうした話は程度の差こそあれ、どの指導者も、また、どの教室も経験していることだった。
《引用終わり》

私も耳にすることはあります。クラスでのいじめについて担任の先生に相談したら、当事者を呼び出して「○○ちゃんがいじめられたと言っているんだけど本当?」と問いただし、「彼らが否定したので、いじめの事実はありません。」という対応だったとか。これでは素人以下の対応。当然のことながら火に油です。

さて、斉田先生はどんな指導をされているのか。

《以下引用(p20)》
斉田先生がよくつかう言葉に「我に返す」がある。生徒が学習をいやがるときがある。かまえばますますダダをこねる。泣き出した子に「どうしたのか」と言葉をかけると、それまで以上にはげしく泣き、尋常でなくなる。ふっと「甘えるんじゃない!」という声がささやく。

こうしたときの斉田先生の教室での行動は機敏である。何をするか。「我に返す」のである。ときによってやり方はいろいろだが、外につれ出した子どもは先生といっしょにふたたび入室するときは、目のあたりは赤くそまっていても、平静にもどって落ち着いている。「我を忘れた」状態のまま放置せずに、「我に返した」のである。あとさきを考えずに、生徒の「我を忘れた」行動を見つけて教室をとび出した先生からすれば、教室の場の平穏さはたんなるフィクションにすぎない。残りの99匹は頭にない。1匹の羊をさがし出したことで得る喜びは、99匹の羊の平穏を優先すべきだという常識的な命令をいとも簡単にとびこえる。…

(p22)…むずがる幼児の話だけではない。小学生も中学生も高校生も「我を忘れる」。だから、教室での、そのとき、その場での即座の対応が必要になる。時間に追われるのではなく、時間を創るのだ。…ことは子どもの「命」の問題である。いまそこに難渋している子どもがいれば、その子に必要なことを必要なだけ、やるしかないのだ。斉田先生には特異な指導をしている意識がまったくない。この場、このときに必要な「我に返す」対応をするまでである。そういう思いを貫くしかないのだ。そこにテクニックなどはない。…

(p23)…一般論はいらないし、説明も不要である。ほめ言葉もいらないし、体罰も無用だ。だって、目のまえで学習しにくくしているもの一つを撃つだけなのだ。そこからしか始まりはないではないか。家庭のせいにすることはない、地域の教育力の減退を憂えることもない。そのとき、その場で、出てきたところで、一つ一つおさえていくしかない。それしかないのだ。最善の指導かどうか、これさえ問題ではない。これが最善ではなくても、次につながる指導がいまの指導を最良の指導に変える。

教室の維持を考えて、どう収束すべきかなどと工夫しようとするから、手が出せなくなるのである。工夫する余裕はないのだ。近くにいるアシスタントに指示を出して、コトを収めるといったやり方も回り道だし、直接的ではないから、効き目はない。そのとき、その場で、それを見た指導者が見とがめたことだけを撃つしかない。何が生徒に次の学習や行動を押しとどめているのか、その場所を撃つだけである。生徒の人格的特性であるとか情緒的特性であるとか全体が問題なのではない。具体的な一項目一項目、一言動一言動が問題なのだ。どんな人格であろうが、どんな感情をもっていようが、総括が指導に結びつくことはない。そこで撃たねばならないことをするだけである。教育が成り立つ「現場」は、ここにある。
《引用終わり》

この文章は、具体的なことは何も書いていないのですが、なにか触発されるものを含んでいます。

日常生活で、親として子どもを叱る場合でも、同様なことが言えそうな気がします。まず、問題行動があった時に、その場で押さえること。見ないふりして後で「先週の月曜日の8時頃…」という言い方はしたくない。「それを言うなら先々週の水曜日のパパの行動はどうなの?」とか言われそうだし。

「あなたという人はこういう性格だから…」とか何か総体的に捉えた大きな説教をこんこんと続ければ、おそらく子どもは説教には耳をかさずに壮大な屁理屈を考え出すことでしょう。

上の文章は暗記したいくらい、大切な何かを含んでいるような気がします。

《つづく》