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「ちょうどの学習×ちょうどにする指導」の「特別研究生、その後」(p9~132)の「教育の現場とは」(p10~43)を読みました。(小林教室収蔵

この攻撃的な文章をまず引きたいと思います。

《以下引用(p35)》
うぜークラス、つーか私のクラスうざったてー。エロい事考えてご飯に鼻血垂らすわ、下品な愚民や失礼でマナー守っていない奴や喧嘩売ってきて買ったら「ごめん」とか言って謝るヘタレや高慢でジコマンなデブスやかまとと女しったか男。
《引用終わり》

確かにひどい言葉ばかりが並んでいるんですが、ある種のセンスというか、小学六年生だと聞けばちょっとした才能すら感じてしまうようなところがあります。
しかし、この子は残念ながら、同級生を学校の中で殺害しました。家裁は、この少女が特別だったとし、その家庭が悪かったとし、学校は不問に付しました。

《以下引用(p29)》
裁定の随所でふれられている少女Aの人格的な欠陥、「未分化感情」、「幼い内面性」、「基本的信頼感の欠如」、そして、「社会的スキルの欠如」、審判はこれらの欠陥に事件のすべての原因を転嫁している。そして、こうした人格にした家庭にはっきりと「ノー」だと裁断した(さきにあげた浜田氏「事件を起こす前に彼女を知っていたとして、人格特性や人間関係のありようについて、その時点で決定文と同じようなことを誰が書けただろうか」と述べている!)。
《引用終わり》

少女Aだけを特別とするのが、事件処理の立場からは一番楽なわけです。再発を防止しなくてもいいのであれば、それでいいのです。起きてしまったものは仕方がない…というのであれば。

少女がそんなに特別だったのであれば、それを看過していた学校に責任がないわけがない。特別ではなかったから、見過ごしたんでしょう?

《以下引用(p40)》
担任は心労のためしばらく通院して、学校を去った。例の事件があった「学習ルーム」は改造されて、オープンスペースに変貌した(これの完成は当の小六生が卒業したあとの翌年だった!)。事件は風化し、学校はなにごともなかったかのように、きょうもまた、あの日と同じようにいつもの“教育”がおこなわれている。
《引用終わり》

少女Aは再び現れることが有り得ないほど、「特別」な存在だったのだろうか?

《以下引用(p33)》
まさに少女Aは都市に流通する情報をそれとは知らず、仲間内の濃密な関係をもつものと信じて、その苦手な感情の認知と言語化を駆使してつかい(少女Aは、小五のとき、文章づくりをリードし、その作文には文才も認められた。パソコンを使いまわせたし、メールのやり取りも自由にできるし、ホラー小説も読める。酒鬼薔薇はヒットラーの『我が闘争』を読んでいたし、マンガのせりふの一節を引用しては相当な文章をモノにしていた。こうした学力はあったのである。なにが足りなかったのか)、そして足もとをすくわれ、まさに「我を忘れた」のである。…
《引用終わり》

この「我を忘れた」という状態については、次回触れたいと思います。悲しい事件の原因の一つとすべきものがあるとすれば、それこそがこれであり、これについて対策を講じなければいけません。

《以下引用(p36)》
少女には認知面、情緒面に偏りがあったのではなく、偏りがあったのは少女が立つ場のほうなのだ。じっさい、少女は会話での「コミュニケーションが不器用」だったのではなかった。かの女はグループ間で「交換ノート」で交流していたし、「ミニバスケット」の運動にも積極的に参加していたのである。少女Aの「居場所」がバーチャルなネットのなかにあったのではなく、学校をはじめとした現実の「居場所」のほうがバーチャルな世界となっていた。また、それがかの女の唯一の舞台だったのだ。だからこそ被害をうけた少女がミニバスケットのクラブをやめ、「交換日記」から離脱することが少女には大きな衝撃となったのである。
《引用終わり》

私の記憶が正しければ、被害者側の少女はお母さんを亡くした父子家庭で、報道関係に御勤めのお父さんはたった一人になりました。加害者となった少女のことは恨むでもなく責めるでもなく、「どうして」という気持ちを抱きながら、成長を見守りたい、というようなコメントをされていたように思います。

「どうして」は、家裁の分析が的外れであるからでしょう。つまり、実際に面会して、特別な少女だと思わなかったということでしょう。

特別ではないということは、私たちは常に、「何か」が動き出すことがないように気を配りながら、すべての子どもたちを(実は子どもだけではないと思うのだが)見守らなければいけないということなのだと思います。

《つづく》