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「現代ソフィスト伝」の「あとがきにかえて」を読みました。(小林教室収蔵

サブタイトルが「さらば、公。さらば、公文式。」となっています。なかなか意味深…。

《以下引用》
しばらく経てば、ある人が公文式はこうだといい、また、別の人が公文式の価値はここにあるという時代がくる、公はこう言った。わたしはこの言葉を聞いたとき、それほど切実なこととは思わなかった。ところが、公がこの世を去って時間をおかずに、言うとおりの事実に出くわしたとき、思わずたじろいだ。
《引用終わり》

論語は孔子没後に弟子たちがまとめたものだと思います。仏典もそうだと思います。創始者の没後には、その人の生前の言を下に、預言者のようにふれまわる人たちが現れます。それぞれ遺志を継いでいるつもりでしょうし、それによる新たな発展もあるでしょう。もちろん、新たな混乱もあるでしょう。

《以下引用》
公亡きあと、公文教育研究会は、依然として、公文式のままだ。しかし、おまえはなにか仕事を残したかと問われたならば、返す言葉がない。わたしはまだ、公の墓前に立つ勇気をもたないが、公に対しての責任だけは果たしたつもりである。新しい一歩が踏み出せそうな気がする。

公がいだいた教育への責任は、はたして、これから以後も長く語りつがれていくのだろうか。わたしは少なくとも、公がわたしたちに残した宿題を現代のこの時代において、ほんの一歩の前進にすぎなくとも、築き上げていく考えでいる。
《引用終わり》

著者の村田氏にお会いしたとき、私はこの本を手にしてはいましたが、この文に出会ってはいませんでした。

村田氏が山形に滞在した一日半の間、文字通り寝食を忘れて、指導法に関する議論を続けていました。紅葉の季節に来ていながら、温泉宿に来ていながら、食事が出されているというのに、…この情熱は何なのか?

もちろん村田氏をもてなした我々も、一秒をも惜しんで彼の言に耳を傾けていたわけで、彼がそのような人でなかったら、かなり落胆したであろうけれども…。期待通り、いや期待以上の人であったがゆえに、鬼気迫るような情熱は何だろうと、私は思っていました。

村田氏が帰られる時、午前中の仕事を終えて戻った私は、彼が駅で独り新幹線を待っていると知り、何か一言でも多く言葉を頂きたくて、駅に行きました。ヘビースモーカーの氏を探すのは簡単でした。やはり、喫煙コーナーにいらっしゃいました。

もう一人の先生も私の後から駆け付けて、三人で新幹線の時刻まで、特にテーマの決まっていない話をすることができました。30分ほどの間。

私は尋ねてみました。「こんなふうで良かったんでしょうか…紅葉もきれいでしたのに」。「ええ、いいんですよ。このために来たんですから」。この答えも予想通りでしたが、『このため』の意味が上の文を読んで更によく理解できたような気がします。

真夜中、温泉宿の一室で、みんなと熱く語っているときに、「公文公は私の師匠ですから…」とおっしゃったのを今でも思い出します。この本を読んで、一人のソフィストの人生と、師弟関係、師への思い、その片鱗に触れさせていただくことができました。その師弟関係に羨望のようなものを感じながら、村田氏の鬼気迫る情熱も少し納得できたような気がします。

この大著を読んでいく過程で、少しずつ、私なりに「公文式とは…なのです!」ということを熱っぽく言い切ることができるようになってきました。村田氏から見たときに、それが何パーセント正解であるかはわかりません。

ただ、公文公氏にとっての公文式自体が変幻自在なもので、「子どもたちの成長」が何よりも大切なわけです。そのためならば、それまで築き上げたどんなに大きなものでも簡単に打ち捨ててしまう公氏でした。としたならば、「公文式」として正解であることには何の意味も無いはずです。

村田氏は、公氏を余り良い響きの無い「ソフィスト」と表現したり、公氏のやり方を「悪」の原理と表現したりしていますが、そこに公氏に対する悪意が無いことは明らかです。この皮肉めいた表現をすることにより、公氏が神格化されることを防いだのではないかと私は思っています。

正統な「公文式」という全く意味のないものを追い駆けて、最も大切な「子どもたちの成長」が置き去りにされることを防いだのではないかと。

公氏が生涯持ち続けた「自由」を公文式の指導者たちが失うことを最もおそれているのではないかと。

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《「ちょうどの学習」を読む》