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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第二章 アウグスチヌス」を読みました。

これまで読んできた『瞑想の心理学』『自己認識への道』に関する記事で、引用してあるところをリストアップしてみました。

【自道01】「信仰で始まり、見ることによって完成する」

【自道18】「死せる生」「生ける死」(アウグスチヌス『告白』)

【自道23】魂は神を所有することなしには生きることもできず、また死によって身体の苦痛を免れることもできないので、死は存在しないどころか、永遠の死が存在するからである。第一の死は魂をその意に反して身体から追い出し、第二の死は魂をその意に反して身体のうちに留める。(アウグスチヌス『神の国』)

【自道26】まことに、神は造りたもうてのち立ち去ったのではなく、これらのものは神からでながら神のうちにある。一体、真理はいずこにましますか。いずこにおいて味わわれ得るか。心の最も奥深いところにおいてだ。しかるに心は、そこからさまよい出てしまった。道をはずしたものたちよ、心に立ち帰れ。(アウグスチヌス『告白』)

【自道33】「私たちは神に与(あずか)ることによって神のようになるべきであるのに、神から離れることによって自分自身が神のようになろうとした」(『神の国』)

【自道41】さて私は熱がひどくなり、いまにも死にそうでした。もしそのときこの世から去ったならば、私はどこへいったことでしょうか。あなたの真実の秩序のもとに、自分の行いにふさわしい地獄の火と責め苦のもとに行くよりほかなかったでしょう。……しかしあなたは、このような状態のまま私が二重の死をとげることを、お許しにならなかった。実際、母がどれほど私のことを心配していたか、私を霊において産むために、肉において産んだときよりもどんなに大きな気遣いをしていたか、私はとうてい言いあらわすことができません。(アウグスチヌス『告白』)

並べてみますと、非常に重要な記述が多いことが分かります。本書では、アウグスチヌスその人について、以下のように記述されています。

《以下引用》
アウグスチヌスの思想において特筆すべきことは、プロチヌスの影響に依るとはいえ、人間が探求すべき真理、つまり神は肉の感覚によって外なる世界に探し求められるものではなく、人間のうちなるところよりもさらに内なるところに求められるとしたことである。

【瞑心37】神はいずこにましますか、真理はいずこで味わわれうるか。心の最も奥深いところにおいてだ。しかるに心は、そこからさまよい出てしまった。道を踏みはずしたものたちよ、心に立ち帰れ。
(アウグスチヌス『告白』)


この表明は、キリスト教というよりも宗教一般が謬説に陥りやすい神の座の問題にゆるぎない指針を与えたといえる。しかし欲望・不安・肉欲・悲しみなどあらゆる情念にとりつかれた人間の魂の内奥を神が自ら住処と定められたことは何と矛盾にみちた驚異であろう。われわれは、最も深く隠れてましましながら最もあらわな神を探して何処に赴くこともない。不確実と誤謬の留り場である自己自身の内側へと入っていけばよいのである。
《引用終り》

不確実と誤謬の殻を叩き割って取り除き、心に立ち帰る…

《以下引用》
真理(神)が個々の人間の内奥に求められるというこの思想は、必然的にわれわれを大衆から孤なる存在への転換を促すものであり、孤独な単独者の内的行為において初めて人間は真理に出会うことができるのだ。真理は喧騒と饒舌の世界を離れ、人間実存の最も深い孤独のしじまにおいて味わわれうるものであることを私はいくら強調してもし過ぎることはないように思う。古来希有な人格が、人間の帰趨すべき生の源泉、すなわち真理なる神を求めてこの絶対的な孤独の世界に沈潜していった――アウグスチヌスもその一人であった。
《引用終り》

《つづく》