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「現代ソフィスト伝」の第二部「五、あとは野となれ(1993〜1995)」の「3 公文式の特長の一は、ちょうどの学習」「4 ちょうどの学習だから、子どもが伸びる」を読みました。(小林教室収蔵

気になるところを引用します。

《以下引用》
「自分が好きなことをやって、自分自身の人生をよりよく切り開く」ためには、どうするのか。「子どもが学習に興味を持ち、本人がやりたいと思った時」にやりたいことをするのではない、公ははっきりと断言して、『特長』の二番「乳幼児は学ぶことが好き」を示す。二番にはこうある。「乳幼児にちょうどのこと(歌、読み聞かせなど)が与えられていくと、勉強が好きになり、小学校入学前に中学程度の学習に入ることもできる」。この程度には子どもの可能性がある、このことは証明済みなのだ。

幼児こそ好きなことしかしないではないか。その幼児が中学生の方程式を学んでいる。早期教育が危ないとか、なにも幼児からしなくてもいいのではないかといった意見は、公が問題とすることにまったくかみ合わない。

現代は教育に自信を失っている。見えない教育、教えない教育と、言葉はソフトをよそおっても、その弱腰が見苦しい。やらせては、いけないのか。子どもたちはいつまでも「やらされている」という思いをもつ。だから、させないのか。「やらされている」という気持ち自体をくつがえす教育の方法はないのか。子どもたちの可能性をそんなに見くびるべきではない。子どもたちは「やらされている学習」を上回るに十分な学ぶ力をもっているのだ。太陽のかがやく積極的な学習の場が、そこにある。この場に子どもたちを立たせる教育に期待をかけるべきなのだ。
《引用終わり》

幼児が方程式を解いているところを実際に見た時、「まだ早い」と言ってやらせないことがいかに勿体ないことかが分かります。

《つづく》