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「現代ソフィスト伝」の第二部「五、あとは野となれ(1993〜1995)」の「1 公の学校開校、先生の責任」「2 好きなことをして人生を切り拓く」を読みました。(小林教室収蔵

1995年(平成7年)7月25日午前1時43分、公氏は81歳で永眠しました。この五章は晩年を描いています。公文国際学園中等部ができたのは1993年4月のこと。一斉授業ではない個人別教育、そしてそれを人格教育へとつなげていく理想が語られています。

《以下引用》
…個人別に「ちょうど」の知育をおこなうことで、生徒には自信と余裕が生まれ、その余裕のなかから、教科以外への目が広がっていく。人生と社会の仕組みが少しずつわかってくれば、自分の前に唯一自分だけが通る一筋の道が見えるようになる。
《引用終わり》

教育の目的とはここなんですね。「大学入試ぐらい、何でもないほどの力をつけて、そして、東大には行かない、これでも結構である」という痛快な言葉を以前も引用しましたが、この章でもいい言葉を見つけました。

《以下引用》
十分な学力をつけて人格を立派にするためにも、できるだけ早期から幼児教育をおこなって、読書ができるようにし、「賢い」子どもに育てなければならないわけです。幼児教育の目的は、大人になった時に社会的な成功をおさめて出世させるためなどということではなくて、自分が好きなことをやって自分自身の人生をよりよく切り開いていくためのものであるということ――そのために大切なのが、読書が好きで、自分が何を読むべきかがわかる人間に育てることなのです。(『山彦149』1994)
《引用終わり》

村田さんもこの文章が気に入っているそうで、幼児教育に限らず、「教育の目的は」としていいのではないかと書いています。即ち…

「教育の目的は、大人になった時に社会的な成功をおさめて出世させるためなどということではなくて、自分が好きなことをやって自分自身の人生をよりよく切り開いていくためのものである」

《つづく》