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「現代ソフィスト伝」の第二部「四、学力の外にあらわれる個人差」の「3、自信と余裕がない(1988〜1993)」の「5 学年を越えても自習で進む突破口」を読みました。(小林教室収蔵

これまで3回にわたって数学国語英語それぞれの「突破口」について書いてきました。まとめますと…

《以下引用》
二学年、三学年、さらにはそれ以上に学年を越えた学習ができるからこそ、自信がつき余裕ができる、そして、学年を越えてもなお自習ですすむためには、突破口として、数学においては「計算力」を、国語においては「読書力」を、英語においては「英文解釈力」を、と告げたのだった。この突破口を開くことによって、生徒の自学自習力は息を吹き返す。学力以外の能力が広がり、子どもたちは「自信と余裕をもって、自習ですすんでいける道」に立つことができる。

「計算力」を突破口にして、学年を越えた学習を自習でしていけば、数学の概念がたかまり、理論体系が見えてくる。生徒の「定義知」は一段と精緻になるはずである。また、「読書力」を突破口に、国語力をつけていくようにすれば、生徒の「経験知」はより豊かになって、さらに賢さを増す。英語はどうか。突破口は「英文解釈力」である。これを水先案内人にして、未知の英語の世界に進めば進むほど、生徒の英語の「運用知」はさらに磨きがかかるのだ。
《引用終わり》

そして、公氏はこの時期に「3つのちょうど」を提唱しています。「理解のちょうど」「作業のちょうど」「学習態度形成のちょうど」です。

《以下引用》
「理解のちょうど」とは、もちろん、生徒の学力の定着度合いをさす言葉である。次の学習に入るにはそれなりの理解力の裏打ちが必要になる。これが不十分では自習にならない。定着には個人差が付き物。しかし、その個人差を克服すべきである。次の学習に必要な理解力がなければならない。そうでないと、指導が空回りする。

では、「作業のちょうど」とは何か。公が初めて教育の世界に持ちこんだこの「作業力」は、要するに、「五分間でも机の前にすわれる力」のこと。未知なる分野を学習するためには不可欠な体力のことである。もちろん、教材が進めば、学習時間は一題であっても長くかかってくる。5分の集中力を10分にし、10分の集中力を20分にして、先の学習をするための力をつけるのである。そのためには、教材1枚を標準完成時間内で学習しなければならない。これが「作業のちょうど」である。

三つめの「学習態度形成のためのちょうど」とは、「やってみよう、やってみなければ、わからない」という気構えのこと。未知の学習には不可欠な力である。「やり方がわかりません」。「やり方はあなたが考えるものです」。数学の書物を自分で読み進め、数学の世界を広げていく。さらには、自分の考えを固め、同時に、なおのこと人のさまざまな考えを知ろうとする姿勢。外国語は英語ばかりでなく、フランス語、ドイツ語と、第二、第三の言葉をモノにしようと思う心の姿勢。最終的には、この学習態度が醸成されているか、これをいつも見ながら、つまり、自学自習の学習姿勢との距離をつねに測りながら日々の指導をしていくことになる。
《引用終わり》

自学自習で未知の領域に踏み込む力の養成を目指す、そのための「3つのちょうど」です。

《つづく》