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「現代ソフィスト伝」の第二部「四、学力の外にあらわれる個人差」の「3、自信と余裕がない(1988〜1993)」の「5 学年を越えても自習で進む突破口」を読みました。(小林教室収蔵

「自信がつき余裕ができ、高校進学後学校で特別できるようになる」。そのためには「学年を大きく越えて進むことを可能にする突破口」が必要である。高校で余裕をもった生活をおくり、特別にできるようにするための学習において、その過程では、多くの困難がある。そうした困難にぶつかったときに突破口となる力をつけておく必要がある。

《以下引用》
数学は当然ながら、「計算力」が大事である。数と数、式と式だけで考える感覚を十分に身につけていなければ、高校では困る。最近では、分数のできない大学生がいると騒いでいるが、公は、分数だけの問題にしてはいけない、と思う。高校で必要になる最低限の計算力はもっと高いし、必要なのだ。

数学史を知っていることが高校で必要な力なのか。文章題を解く力が絶対にいるのか。三角形の証明問題が必須か。一つ一つ反省してみれば、ほんとうに必要な力が何か、わかってくる。不安になると、ますます人は余計なものをしたがる。しかし、肝心の計算力が不十分であっては、数学は学べない。新しい数学の課題を提示されたとして、計算力があれば、その課題を突破できる道もひらけるが、そうでなかった場合、すぐに学ぶことを投げてしまう。これでは、高校での数学など、できはしないのだ。
《引用終わり》

中学の時、数学の宿題は必ず三角形の証明問題が一題出されました。私も得意でしたから、結構楽しんでやっていたような気がします。論理的に記述して解いていく、これぞ数学の真骨頂なのだろうと思っていました。

でも、これはパズル的な数学であって、少なくとも真骨頂というところからは外れていると思います。図形は解析幾何で解くのがやはり数学っぽいでしょう。

もちろん、三角形の証明問題が不要だと言うわけではありません。高校受験では必ず配点の大きな設問として出題されるようですから、受験勉強には欠かせませんし、論理的思考は鍛えられるでしょう。ただ、数学の中では極めて汎用性の低い、特殊なテクニック(解法)だと思います。

《つづく》