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「現代ソフィスト伝」の第二部「四、学力の外にあらわれる個人差」の「3、自信と余裕がない(1988〜1993)」の「3 読解力がちょうどを見分ける尺度」を読みました。(小林教室収蔵

同じ公文式の教室でも、指導者によって進め方はかなり違います。そして、同じ進度の生徒であっても、やはりその後の教材の進め方は違います。その判断材料はというと…

《以下引用》
ところで、「先へ進める」ことの考え方や方法については、指導者によってかなりの違いがあるのは、興味深いことです。ここから先へ進ませるか、それとも復習をさせるかという時、指導者によって、判断の基準が二つに大別されるようです。ひとつは、「ここまで(これだけ)できなければ、進めるわけにはいかない」という考え方です。このことは、「ちょうどの学習」をどう判断するかということでもあり、難しいところではあります。この場合、進め方を判断する手がかりとして、その子がどれだけ読解力(したがって読書力)をもっているかということも、大事な要素となります。(『山彦114』1989)

…例題の意味を読み取って、解いていく方法をえらんだり、これまでに学んできたいくつかの学習課題から新しい定義を考え出したり、また、自分がしている学習の先を予測したりする、こうした力が学年以上の学習には必要になる。指導者の説明を聞いて理解する力もいるだろう。数式と数式との関係を読みとる力、数の意味を考える力、式を立て、先を推測する力、これらすべてが国語力によるものなのだ。

この国語力を基礎学力として、これを基盤にした学習をしていかなければならない。国語を学習して、読解力をつけた生徒は、数学をする舞台を、英語を学ぶ舞台を、確実に一次元あげて学習していくことができるのだ。
《引用終わり》

これは以前書いた「国語力の重要性」を別な角度から言い換えています。

《以下引用》
公は国語力の向上に役立つ方法なら何でも、指導者にきいては、それを他の指導者に紹介していった。いい方法であるなら、多くの教室で活用されるはずである。いい方法であっても教室で手間取るものなら、やがて、消えていく。指導法の開発には、教室の現場での試行錯誤の篩が何よりも必要になるのだ。
《引用終わり》

公氏の、この現場主義・現実主義のやり方は素晴らしいと思います。

《つづく》