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「自己認識への道」(法蔵館)
「第二部 トマスの福音書 真知の覚―自己認識と神認識」の「第七章 単独者」を読みました。

『チベット死者の書』ではバルドと呼ばれた中間世界ですが、イスラーム神秘主義ではバズラフというそうです。

《以下引用》
スーフィズム(イスラーム神秘主義)はこの物質の世界(二元性の世界)と真理の世界(一元性の世界)の中間に位置する心(魂)の世界をバズラフ(barzakh)と呼ぶ。また、復活にも小復活と大復活の二つがあると言う。小復活は今生において真理に目覚めることができなかった者が中間世界(バズラフ)に入ることであり、その世界は大きく分けて天国と地獄の二つに分かれるが、すべては生前の行為に相応しい姿をとって転々と彷徨うイマージュの世界であり、モッラー・サドラーはそのような心(魂)が彷徨うことをタナースフ(tanasukh)と呼ぶ。一方、大復活とは今生で真理に目覚めた者がこの世の源である本源の世界(存在一性の世界)へと帰り行くことであり、今生においてスーフィー的死、すなわち「死ぬ前に死ぬ」ことができた者とそうでない者の違いなのだ。
《引用終わり》

仏教もキリスト教もイスラーム教も、それぞれいろいろな考え方を含んでいるのでしょうが、死後の世界に関して殆ど同じ考え方をしている人たちがそれぞれの宗教の中にいるというのは面白いことです。

例えば、パリに行って来たという人たちが、街の風景について殆ど同じことを言うとしたら、自分が一度もパリの街を見たことが無いとしても、それを信じるのが普通だろう…という考え方があります。

少なくともバカバカしいと言って、一顧だにしないのは間違いでしょう。

《つづく》