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「現代ソフィスト伝」の第二部「四、学力の外にあらわれる個人差」の「1、教材が進んでも能力が広がらない(1983〜1985)」の「3 学力以外の能力の広がり」「4ちょうどの学習」を読みました。(小林教室収蔵

《以下引用》
「幼児で方程式」の生徒になれるため三歳以前の幼児教育として心がけるべきもの、また実行しやすい目標は、次のようなものでした。
‘鷓个了に漢字二百(かなも含む)
∋虻个了に磁石すうじ盤1〜100を三分以内
三歳の時に歌を百

公の幼児教育は、まったく幼児教育の名に値しないのか。幼児のうちからそんなにしなくてもと言われる「漢字カード」、盤の上に数字のコマを置くだけの「すうじ盤」、そして、「歌」である。…幼児教育に付き物の、情操の教育、人間性の陶冶といったものは何もない。世間の幼児教育の専門家がバカにするのもムリないかもしれない。…ここでもまた、公は「何を教えるかではなく、何を教えないか」の教育を実践している点に注意しなければならない。幼児の指導では、とくにこの点が肝要になる。余白をのこして、自学自習の遊びをひき出すのが幼児指導のコツなのだ。ゆめゆめ効率性などの問題ではない。

与えるものをできるだけ少なくシンプルにして、二学年先、三学年先に進んだときに見せる能力の発現、すなわち、そこに現われる「学力以外の能力の広がり」に向かって、公の幼児指導は展開していく。幼児教育に必要だといわれている全てをしようとする気持ちはさらさらなかった。
《引用終わり》

『「何を教えるかではなく、何を教えないか」の教育』という点と、『余白をのこして、自学自習の遊びをひき出す』という点ですが、幼児教育に限らず、今現在国語のK教材を解きながらもその配慮を感じます。

教えない内容、つまり余白を厳選している。教材を解いていると、その学習内容に興味が湧くように配慮されていて、教材にはない余白の部分が気になるようにできている。おのずとその方向にアンテナを張るようになるから、それに関連する情報を何気なく目にする、あるいは耳にする機会があったときにはすぐに吸収できるようになる…そんな気がします。

好奇心と作業力を育てることによって、自分の知識を自分で貪欲に補完していこうとさせる。この状態にあって人と接するならば、情操とか人間性は自然と身に着くのではないかと思います。(教室の子どもたちを見ていても、そう感じます)

というか、そもそも情操とか人間性って、外から意図的に働きかけて身につくものではないような気がしますが…。

《つづく》