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「瞑想の心理学」(法蔵館)
第四章「方法論―止観双修」の「如実に自心を知る」を読みました。

「仮我の死によって真我に蘇る」ことは、「自心」を知ることと言い換えてもいいでしょう。もちろん、自心とは真我のことであり、仮我(妄心)のことではありません。

《以下引用》
…仏教のいう悟り(菩提)とは何かを『大日経』はきわめて明快に「実の如く自心を知る」ことであるとした。われわれ一人ひとりの心こそ、悟りそのものであると言うのだ。そして、釈尊が悟りを得たとき、何を覚ったのかというと、彼自身の心にすべての知恵・徳相はもとより備わっていたという事実であった。しかも、それはひとり彼だけではなく、「自家の宝蔵」は誰もが本来同じように備えている(黄檗)。だから後の世のわれわれも、求むべきは自分自身の心であるということだ。またその事実は、われわれがこれから善行を修し、功徳を積むことによって悟りを得るのではないことを示している。…

このように、宗教とは心を外から内へと廻らし、心の本源へと帰っていくことである。それを回心(廻心)と言うが、われわれは改心という言葉があることも知っている。回心と改心の違いは、後者の場合、われわれが為した行為について反省をし、心を改めるということで、これは倫理道徳の問題である。従って、改心しても、回心になるとは限らない。回心とは心を内へと転じ、心の本源へと入って行くプロセスであるからだ。
《引用終わり》

改心と回心の違いは、善行と悟りの違いと同意だと思います。

《つづく》