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「現代ソフィスト伝」の第二部「二、学力の実態を見る」の「3、学力が安定しない(1968〜1973)」を読みました。(小林教室収蔵

《以下引用》
安定した学力の目安になるものとして、進度一覧表があります。一覧表の上位の地位を確保しておくことは安心できる学力を身につけていることになります。一覧表の上位50人は必ず学校の成績は5といえません。また一覧表にのっているからといって学校の成績が4以上とも言いきれません。しかし、一覧表の地位は学年が進むにつれて安心できるものであることは確かなことです。したがって、この一覧表を目安として、勉強してくださるよう希望します。…(「進度一覧表」1970)
《引用終わり》

公氏の文章からの引用です。

そもそも大学の入学試験を目標にしてスタートした学習法であり、学校の成績に一喜一憂しない方針で行われてきましたから、上記のことは当然かもしれません。

当時とは若干違うとは思いますが、うちも進度を最も重要な目安としております。

《以下引用》
六年生の算数がよくわかるためには六年生の参考書を多くあたってみるというのは、すぐれた勉強法とはいえません。むしろ、中学一年生、二年生と進んで勉強してみることが大切です。現在のところよりももっと高い立場の数学を知ってみると現在している方法なり考え方の意味がよくわかってくるものです。そして、安定した学力が身についてきます。高い立場に立って考えることができるようになることの大切さは、数学だけではなくて他の科目にもいえることです。数学の勉強法として高い立場に立った方がよいことがわかり、他の科目でもそのような勉強をしてみようということを知ることができれば、誠にすばらしいものです。(「進度一覧表」1972)

計算ばかりしている公文式、と芳しくない評判が立っていた。意味もわからずに、計算ばかりしていても仕方がないではないか。上の公の文章に「意味」という言葉がある。「意味」とは、本来、こういうものではないか。生徒自身が見出してこその「意味」である。教材が先に進めば、視野が広がる。生徒の立つ場所の次元が変わる、そうして、学習者自身が「意味」をつかみとる、こう公は言うのだ。
《引用終わり》

「意味」については前にも引用した文章がありますので、読み比べていただくといいかと思います。

平地にばかり居たのでは、自分の立ち位置は分かりにくいかもしれません。少しだけ高い所に上がってみると、それまで自分が居た場所の近くには川があったり森があったりすることが分かってきます。さらに高い所に行けば、さらに広い視野で理解することができるようになります。

六年生はここまでしか上がってダメだから…とカリキュラムの制限を律儀に守っていたら、より広い視野での理解はできなくなります。六年生の呪縛が解かれるまで、周りがよく見えない立ち位置で、ウロウロと時間潰しをしなければいけなくなります。

こんな勿体ない状態が各学年で起きているわけです。今も…。

《つづく》