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「瞑想の心理学」(法蔵館)
第三章「存在論―返本還源」の「熏習論」を読みました。

『起信論』には熏習という考え方があります。唯識説にも出てくるようです。

《以下引用》
…まず無明が真如に熏習する、つまり不覚無明によって妄心が起こってくると、今度は妄心が無明に熏習し、無明が深まるにつれて真如法(真理)を覚ることがますます難しくなるだけではなく、さまざまな妄境界、つまり生死や善悪を始めとする二元葛藤する世界が次々と現れてくる。すると今度は妄境界にわれわれは心奪われ、それが機縁(染法縁)となって妄心に熏習し、われわれはいろいろと画策し、さまざまな業(カルマ)を作り出し、それが原因となって輪廻の輪は果てしなく回り、あらゆる身心等の苦を受けることになるというのだ。
《引用終わり》

燻製をイメージしてしまうのは私だけでしょうか。修業が足りないということでしょう。

《つづく》