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「現代ソフィスト伝」の第二部「二、学力の実態を見る」の「1、基礎学力が足りない(1958〜1963)」を読みました。(小林教室収蔵

禎子さんが始めた教室を初めとして、この学習法の良さを確信していた公氏は、その知人や教え子に依頼して教室を増やし始めました。「風呂屋の数ほど、教室をつくっていきたい」という言葉をよく口にしたそうです。

《以下引用》
人はまず教育観や教育論を立ててから教育について語ろうとする。公は生徒の学力の実態から教育を発想する。では、公の考えになにか共通する教育観のようなものがあるのかと思って注意しても、それがないのだ。公の考え方の特徴は何かと問われれば、こうした現場主義、臨床主義とでもいうべき点にあったとでも言うしかない。

人の関わり方が多様になり、状況の変化のはげしい社会では、ある一つの価値基準をもって割り切ろうとしてもできるはずはない。そうではなく、むしろ自己の価値基準の神格化を極力さけ、状況のなかで、みずからの考えを一度バラバラにしてみる。教育者という地位を投げ捨てる。どんな課題であれ、まず、現場の一兵卒であるべきなのだ。そうしたあと、再び試行錯誤のなかから、方策を組みなおす。公はこのやり方に徹したのである。

…目の前のたった一人の子どもの事例は、次なる生徒へのモデル(模例)になる。しかし、モデルはモデル以上ではない。教育は決まりきったマニュアルで仕切ろうとしてもムダな領域である。いつも不可知なるものへの真剣勝負なのだ。
《引用終わり》

これは、教育に限らず、いろんな分野で言えることかもしれません。治療の仕事の場合も、患者さんの言葉の中に医学書の内容と符合する事柄がいくつかあると、すぐにそれと判断してしまい、当てはまらない事柄は自然に聞き流してしまうことがあります。モデルやマニュアルに真正面を向いてはいけないのです。生徒さん、あるいは患者さんの方を真っ直ぐ向かなければいけない。

《以下引用》
公は、『まず算数一科目に自信を』という講演のなかで、「すべてをやろうとするな、まず、算数一科目だけにしぼりなさい。算数のなかでも全部の分野をしようとするな。計算力だけをつけるようにするとよい」と述べている。そして、計算力を次のように定義した。

\騎里坊彁擦任ること。
⊆分で誤りを発見できること。
8蹐蠅鯀瓩直すことができること。
《引用終わり》

「速さ」を求めているのはだけであることが重要です。そして,鉢△蓮↓のためにあります。

本書では、当時盛んに議論された「水道方式」とか「プログラム学習」についても詳しく述べてありますので、興味のある方はご覧下さい。

《つづく》