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「現代ソフィスト伝」の第一部の「五、教育の力」を読みました。(小林教室収蔵

公文公氏が初めて教壇に立った昭和11年頃から昭和27年頃までが描かれております。終戦記念日の頃に読むのにピッタリの箇所でした。

《以下引用》
公の授業は、いつものとおり、ムダがない。ムダは生徒にとってのムダである。教科書を順番どおりやっていくことをしないし、教えるということがほとんどない。五問程度の問題を板書して、さっと終わっていいところと、印象づけておかなければならないところとで、指導の仕方を変える。さっとやるところは比較的よくできる生徒に当て、三回転ぐらいで教科書の十数ページをすすむ。大切なところは、成績の中程度の子にさせて、どうまちがったかを説明する。

その生徒が将来大人になったとき、こうなっていた方がいいというやり方をいつも考えて授業していたらしい。生徒が得になることをしなければならない。数学ができるようになるには、どうしたらいいか。もっと勉強を先に進める学力とは何なのか。これだけが公の関心事であった。そのために必要なことなら、多少の反対があっても、意に介さない姿勢だったという。
《引用終わり》

自分のやり方に間違いはないという自信があるから、周囲から何を言われてもぶれなかったわけですね。こういう気骨の人、好きです。

そして、思っていることを徹底してやるから、間違いがあれば、それに気づくこともできるわけです。

《以下引用》
その頃、私は学力の低いものは勉強しても駄目だという考えをもっていました。……頭から学力がないときめないで、ともかく親切に勉強させてみるべきだったと考えさせられました。学力の進み方は素質によることが一番大きい。しかし素質がどんなかは学校の成績とか外見できめられないものだということです。また素質には素質なりにその子どもの能力を最大限に引き上げてやるべきだ、それには如何にするか。この最後のことはその当時にはまだ気がつきませんでした。方法を発見しない限りそこまで考えられなくて当然でしょう。(『山彦14』1965)
《引用終わり》

このころ学校の教え子を自宅に誘い、勉強をさせていたそうです。自宅教室で密かに個人別教育が息づいていました。そこには、分かる生徒が分からない生徒を教えるという、適塾の雰囲気もありました。

《つづく》