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「瞑想の心理学」(法蔵館)
第二章「現象論―三界唯心」の「精神と物質」を読みました。

仏教は唯心論でもなく、唯物論でもありません。それをうまく表現しているのが、この言葉。

《以下引用》
心の外に物はなく、物の外に心はなし。(菩提達磨『無心論』)
《引用終わり》

デカルト的二元論、物と心を完全に分離していた古典力学ですが、現代物理学は精神(心)と物質(物)の関係を捉えなおし、東洋の思想に近づいています。それをうまく表現しているのが、次の言葉。

《以下引用》
古典的物理学では、物質(それが唯一の真の実在であった)は完全に唯物論的・機械論的もので、心の入る余地はなかった。しかし、新しい物理学では、心は物質から芽生えてくるのです。実際、物質は心の本質を含んでいます。この二つは両方とも、実は全体からの抽象なのです……そうは言っても、心と物質は等しいとか、前者は後者に還元されるとか言っているのではないのです。それらはむしろ平行する二つの発達の流れであり、そして、それらの流れは両者の彼方の、今のところ記述不可能な共通の基底から発祥しているのです。おそらくその「彼方」とは、神秘家が内在も超越も一緒に、一つの全体として体験するその場所なのでしょう。
(ボーム『科学と神秘主義のあいだ』)
《引用終わり》

「三細」と「六麁」のところでも出てきましたボームは列記とした物理学者です。量子力学の不思議な現象を説明しようとすると、物と心は分離できなくなってしまうんですね。結果、多くの物理学者がインド哲学に着目するようになりました。

仏教同様、現代物理学も、唯心論ではなく、唯物論でもない、ということになります。

《つづく》