ブログネタ
★くもん・公文・KUMON★ に参加中!
「現代ソフィスト伝」の第一部の「四、知の力」を読みました。(小林教室収蔵

公文公氏が高知高校(昭和五年入学)から大阪帝国大学に在学している頃の時代や出会いが描かれております。この頃に培われた、数学という学問に対する氏の考え方にも触れています。

《以下引用》
教育の世界では、相も変わらず、思考力の育成が問題になっている。にもかかわらず、これといった新しい指導法が生み出されたという話はきかない。考える前提になるのは、事実であり、実態である。ところが、人々は考えるためのスキルの方ばかり目をやる。指導においても然り。これでは思考力育成の糸口が見出せないのも当然である。
《引用終わり》

それは例えば…

《以下引用》
集合数か、順序数か。たいした問題ではないではないか。何を言っているのだ。やれる方を先にするしかないのだ。だったら、+1は次の数だし、+2は次の数の次、これの方が学びやすい生徒が多いのではないか。これがラクにできれば、数を集合としてみる見方はしぜんと生まれる。
《引用終わり》

以下は公文氏直々の文章の引用。

《以下引用》
教材というのは、逆にあまり考えさせる問題というのは良くないと思うんです。「数学が自分で好きであった。なぜ好きかというと2日も1週間も考えて解いた時のうれしさがあるから数学をわすれない」と言う人があるんですが、考えさせる問題はそれよりもかえって、人を数学嫌いにさせる場合がはるかに多いんです。そんなに考えさせてもいけないんです。無理な考えをさせても。したがって、できない生徒にはパッと教えて済んだっていいんですね。
《引用終わり》

公文の教材は、ひっかけみたいな意地悪な問題とかが無くて、親切な(易しいのではなく優しい)問題で構成されていると常々思っていたのですが、理由が分かりました。「パッと教えて済」ますのも効果的であることは、教室で何度も目の当たりにしています。

《以下引用》
とにかく先に進んでいけば、だんだん完成してきて、いいも悪いもなくて、暗算ができてしまうようになる。できてしまうのだから、暗算に理由などはない。もちろん、足し算にも格別深い値打ちはない。掛け算を習っていたら、足し算ができていた、それだけのことである。しかし、こうした学習が生徒一人一人には意味をもつ。指導者が考えた到達点にたどり着くには、もちろん、個人差が存在する。この個人差を認めてなお、学習そのものの意味を生徒個々に得させるのだ、という覚悟がなければ、教育から何も生み出せはしないのだ。
《引用終わり》

集中学習の時などは、採点を先に進んでいる生徒にやらせるのもいいと書いてあります。これは、生徒同士を競わせ、先に進んだ生徒が後れている生徒に教えるという適塾(緒方洪庵の塾:大阪大学医学部の前身)のやり方を参考にしているそうです。

《つづく》