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「瞑想の心理学」(法蔵館)
第二章「現象論―三界唯心」の「月華の比喩」を読みました。

『起信論』では、「一切の法は鏡中の像の体として得べきものは無きが如く、唯心のみにして虚妄なり」と言っています。これと似た「月華の比喩」が紹介されています。

《以下引用》
月華 中流に浮かぶに
彌喉 これを探らんと欲し
相率いて 水中に投ずるが如し
苦しいかな 三界の子
(良寛『草堂詩集』)

水の流れに月が映っている。この美しい月影を自分のものにしたいと思って、猿が仲間を引き連れて水中に入っていく。ところが、しばらくすると彼らはともども水中に没し、命を滅ぼしていく。われわれはこの猿の愚かしさを笑うかもしれない。・・・

しかし、…われわれ人間もまた、あの猿たち同じようなことをしている…。われわれはこの地上にあって、自らの心が投影した「鏡中の像」のように実体を持たないものを手に入れようと躍起になっているのだ。果たして、われわれが本当に手にできるものなど何もないにもかかわらず、互いに争っている様子は、もしかしたらあの猿よりもいじましく浅はかと言えるかもしれない。
《引用終わり》

プラトンの「洞窟の比喩」も紹介されています。

《以下引用》
人間は洞窟の中にいて、頭を後ろに向けることができないで、いつも前だけを見ている。そして背後から光が当てられると、そこに影が映し出され、人間はそれを見ている。そして「投影された影の他は何も見たことのない人間」が、その影に一喜一憂しているというものだ。…

いずれの比喩もわれわれ人間は真実を捉えているのではなく、その影を見ているに過ぎないと言おうとしたものである。
《引用終わり》

「望月の比喩」というのもあります。私の作品です(笑)。

《つづく》