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「瞑想の心理学」(法蔵館)
第二章「現象論―三界唯心」の「共同幻想の世界」を読みました。

今回は一水四見(三見)の比喩から。
《以下引用》
譬えば人間の浄水を天鬼は心に随うて、或いは以て宝とし、或いは以て火とし、自心自ら苦楽を見るが如し。これに由って、當に知るべし、心を離れて外に一法も有ることなし。(『大日経疏』)

ここに登場するのは六道のうちで天、人(人間)、餓鬼であり、これら三者の心がそれぞれ異なるために同じものを見ながら、三者三様に捉えていることを言ったものだ。…そうすると、個々に意味があるとしても、三者共通の意味を見つけることはできないであろう。つまり、同じ心の構造を持ち合わせているものにとってのみ分かり合える世界(境界)ということになる。
《引用終わり》

人によって見え方、捉え方は様々であろうことを私なりに以前書いたこともあります。

《以下引用》
…われわれ人間は、人間の心が捉えたものという共通認識に基づき、また人間の心にとってのみ意味を持つ世界(世間)で、さまざまな問題を抱え込んでいると言えるだろう。そして、われわれの世界がたとえ虚妄であっても、その虚妄を共有し、そこに何がしかの意味を見出そうとしているということで、私はこの世界を共同幻想の世界と呼ぶ。もちろん、人間だけが共同幻想の世界に生きるのではない。ここにあげた三者三様に、自らの心に随って、さまざまに見ているのだから、それぞれが共同幻想の世界を生きていることになる。そして、真実はこれら共同幻想の世界の中にあるのではなく、この幻想のヴェールが取り除かれたとき顕現してくるものなのだ。
《引用終わり》

三者に限らず、同じ人間でも見え方はだいぶ違うのではないかと思います。もちろん、天と人間、餓鬼と人間よりは、人間同士の方が共通に見えるものは多いでしょうけど。

そして、皆の見え方が共通な物を私たちは客観的だと言い、科学が取り扱う範囲に入れて、取り組んでいきます。しかし、幻想であることに変わりはない。真実はそのヴェールを取り除いたところに顕れる…

《つづく》