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「現代ソフィスト伝」の第一部の「一、教育に「悪の原理」を持ちこむ」を読みました。(小林教室収蔵

この本は、公文式の創始者公文 公(くもん とおる)の伝記のようなものでしょう。著者の村田一夫さんは「晴耕雨読の読書法」の茶者でもあります。公文式の国語教材を創り上げた人であり、公文公氏を最もよく知る人の一人でありましょう。

この章は、母方の祖父である吉川類次が土佐で早稲米を開発し、土佐二期作の発展に貢献した話から始まります。明治維新について触れた記述をメモっておきます。

《以下引用》
思えば、明治維新に大きく貢献す薩長連合を成功させた土佐の坂本竜馬は三十三歳、中岡慎太郎は三十歳でこの世を去っている。ともにあまりにも若い。森と同い年の土佐の中江兆民が長崎でおさめたフランス学を引っさげてヨーロッパに渡ったのは二十四歳のときである。経験を要する農業で二期作法をあみだした吉川類次は少し年長だが、それでも、四十をこしたばかりのときに仕事を残しているのだった。

ここで現代の青年論を話題にするつもりはない。それにしても、近代、そして現代へとつづく歴史のなかで、なにかとても大きな忘れものをしてきたのではないかという思いがする。青年が活発にうごけない現代は、歴史のなかでもいちばん淋しい時代なのではないだろうか。
《引用終わり》

「子どもは宝」とは山上憶良の時代から言われていますが、現代の私たちはどんな価値を子どもに見出しているでしょうか。

《以下引用》
子どもは断崖にたつ灯台ではないだろうか。親の背中を見て子どもは育つとは、子どもが親の背中をとおして時代の空気をまちがいなく感じ取ることができるから、旧世代には見えないパースペクティヴ(遠近法)を所有する、これが子どもという存在のほんとうの意味ではないか。ときに子が親に反発を感じるのもこうした事情があるからなのだ。現実の世界のなかで、次の世界を指し示すのが子どもたちである。
《引用終わり》

ユニークな地質学者で私も好きな井尻正二氏の先祖のことも紹介されています。吉川家の人々共々、世間の常識にとらわれず、陰口をたたかれながらも自分の流儀を押し通した人たちとして。

《以下引用》
吉川家、井尻家の人々は、今ははるか遠くに眺め見るだけになった。共同体が是とする考え方にあえて異を唱える所業はたしかに勇気のいることである。ことに、教育という場は、なかなか悪の原理が入り込まない世界なのだ。だから、価値のダイナミックな転換も生まれにくい。

現代に流布している教育論の類の食い足りなさは、ここに原因があるのではないだろうか。子どもたちの千年王国を語り、夢を説くのは教師であり、子どもはその夢の跡をなぞる。母親父親は世間のおおかたの価値観を第一とする習性をもつ。児童中心主義が教育論をやせさせ、学校聖域論が閉塞性打開の破天荒をしめだす。
《引用終わり》

教育が、そして共同体が、すべて閉塞にぶち当たっている現在、「悪の原理」はむしろ「希望の原理」に見えるのは私だけでしょうか。

《以下引用》
公のなしたことは簡単なことだ。高校で必要となる基礎学力をそのまま加工せずに、中学生に、小学生に、幼児に、学習させただけである。「小学生にも微積分」、これが悪臭をはなつ大元なのだ。「基礎学力とは何か」、教育学者だけでなく、教育に関わりをもつ全ての人が自分なりの一家言をもつこの問題に、公はむずかしく考える必要はないではないか、先の学校で役立たないのなら、どんなに立派な基礎学力でも価値などない。幼児には幼児にふさわしい教育、児童には児童にふさわしい教育、子どもらしさを追求することの好きな世間の人々は、公にむかって、受験教育屋が何を言うか、効率だけで教育が語れるか、教育は学力だけではない、と批判をくり返す。批判しなければ、自分たちの共同幻想がこわれてしまう。これがこわいから、世間は公文公を悪人に仕立て上げずにはおかなかったのだ。
《引用終わり》

《つづく》