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「瞑想の心理学」(法蔵館)
第二章「現象論―三界唯心」の「自心所現の幻境」を読みました。

「三界虚妄」(『華厳経』)、「三界虚偽」(『起信論』)、「三界如幻」(『楞伽経』)、現実もまたバーチャルなもの?

《以下引用》
本来何もないスクリーン上に、心が投影したいろんなシーンが映し出され、それを見て同じ心がさまざまに反応する。それが楽しいものならば嬉しくなり、辛く悲しいものならば避けようとするだろう。しかし、それとても元は自分の心が生み出したものであり、その映像に心が一喜一憂しているだけなのだ。心というものはそういうプロジェクターのような働きをしているがゆえに、『楞伽経』はわれわれが捉える事物・事象はすべて「自心所現の幻境」であると言ったのだ。そして、自らの心が投影した幻影にわれわれは心を奪われ、それに執着していろんなカルマ(業)を積み上げながら、生死の世界を転々としているということだ。
《引用終わり》

以前、影絵に例えて書いたことがあります。内容は若干違いますが、イメージは似ています。

プロジェクターに何を映すか、決めるのは自分の心。プロジェクター自体は清くも汚れてもいない。楽しいものを映せばプロジェクターは楽しいもの、悲しいものを映せばプロジェクターは悲しいものになる。いずれにしても、プロジェクターは元ネタ(自分の心)を大きく映し出し、自分の心を捉え、夢中にさせる。

《つづく》