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「瞑想の心理学」(法蔵館)
序章「『大乗起信論』概説」の「心源―大海水波の比喩」を読みました。

《以下引用》
…心源とは心の本源という意味であり、それはもとより浄いということで本源清浄心、あるいは自性清浄心とも言う。心と心源は先に挙げた、妄心と真心、妄念と本心、心と心性などと同じ関係にあるが、果たして仏教は、心をその本性において知ることの大切さをことあるごとに主張する。実際、心の本性(真心)を知ることが存在の意味を知ることでもあり、心の本源以外あなたが辿るべきところなど本当はどこにもないのだ。というのも、心の本性(本心)はもとより仏であるからだ。
《引用終わり》

この心(妄心)と心源を、『起信論』では波と海に譬えています。

《以下引用》
…今のところわれわれは、この波に過ぎない心を自分の心と見誤り、良くも悪くもその心に惑わされ、徒に混乱して、その内側に始めもなければ終りもない心(真心=本源清浄心)が果てしなく広がっていることに全く気づいていない。…『起信論』は「無明の風」によってわれわれの心は波立つと言う。

衆生の自性清浄心も無明の風に因りて動ずる。(『起信論』33)
《引用終わり》

如来蔵思想や唯識などの説明でもいろいろな例えが用いられていますが、大海水波の比喩が一番しっくり来るような気がします。3.11の津波の映像を見たばかりだからでしょうか…。

《つづく》