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「瞑想の心理学」(法蔵館)
序章「『大乗起信論』概説」の「衆生―如来蔵」を読みました。

(04)(05)の内容が如来蔵とほぼイコールのように思います。今回は不増不減について書いているところが素敵なのでメモっておきます。

《以下引用》
…学問は真理の探求であるというが、宗教も同じように真理の探求と言える。…宗教における真理は、…仏陀よりも古いということだ。…仏陀以前にも、また以後にも彼が覚った同じ真理を知った人は他にもいたはずだ。ただわれわれは今に至るまでそれを知ることもなく、だた徒に生死の世界をさ迷っているのだ。

学問における真理の発見は、発見者の功績に帰すべき新たな発見となるのに対して、宗教における真理の発見は、決して新たに何かを発見することではない。…それは新たな発見ではなく、かつてそれを体験的に知った人(覚者)と同じものを知った過ぎない。…宗教においては独創的な真理の発見などないのだ。もしそんなものがあるとしたらそれこそ怪しいものだ。そして、この事実は将来にわたっても変わらない。たとえわれわれが生死に迷う常没の凡夫であっても、その内なる真理(真如)は変わらず存在しているし、またそれを覚ったからといって、ことさら何かを手に入れるわけでもない。宗教的真理はいわば不増不減なのだ。
《引用終わり》

私は、数学や物理学の真理は上記の宗教における真理のようなものだと思っていました。論理がきっちりと噛み合っているものだから、人間が発見していようがいまいが、その真理の体系は出来上がっているはずだからです。でも、不完全性定理を知ってからは考えを変えましたけど。

「仏陀よりも古い」というところ、画期的な指摘のような気がします。仏説とか非仏説という議論がバカバカしくなります。

《つづく》