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くもんのすいせん図書(Gの48番)「晴耕雨読の読書法」の「第三章 一人で学ぶ「晴耕雨読」の読書法」を読みました。(小林教室収蔵

年齢が同じなら、理解力も興味の持ち方も同じなのか?それが真ならば、4月生まれの人と翌年の3月に生まれた人が同じ教室で勉強していいのか?教育に関する疑問は尽きません。

《以下引用》
幼児には幼児の発達段階があり、児童期には児童期の発達段階があると、一般には考えられています。読書だけでなく、教育には必ず、こうした条件を背負わねばならない宿命でもあるかのようです。君たちのそれぞれの発達からくる性格によって、はっきりとその時期ごとに区切られた教育が大切なのだと、多くの人が言います。幼稚園や小学校では、その制度自体にその特色を色濃く持っていて、「当園は幼児に最もふさわしい情操教育を土台にして…。」と言って、当然の様子です。しかし、幼児期のこうした特徴づけがかえって君たちの本来の必要性を小さな枠の中に閉じ込めてしまっているという反面を忘れてはならないと思うのです。事実、例えば、障害を体に持った子どもたちを排除する形になって現れたりしています。

「人」が「人」として存立する場とは、君たちの一人ひとりが自分の可能性の追求を行える場のことです。君たちはそうした場に立って、毎日生活しているわけで、決して、制度の中の退屈に埋もれて生きているわけではないのです。幼児であっても、児童であっても、また、思春期に、青年期にある場合でも、それぞれの条件の中でなお、君たちは自らの可能性の広がりを常に実感しながら、生活していっています。

読書はこうした「人」が本来的に立つ可能性世界に直結した働きかけを行うものです。したがって、幼児期からの読書は必須のものになるはずですし、同じ理由によって、児童期にも、思春期にも、どの年齢においても、本は無くてはならないものになります。「晴耕雨読」の読書法は、リタイヤした老人の余戯などではありません。可能性の最も大きい幼児にこそ、「晴耕雨読」なのです。可能性を追求してやまない君たちにとって一番ふさわしい読書法を、私は今まで語ってきました。
《引用終わり》

いろんなジャンルの本を難易度ごとに並べたのが「くもんのすいせん図書」です。難しいと思ったら次は簡単なものにすればいいし、簡単だと思ったら次は難しいものにすればいい。難易度も、ジャンルも、自分にちょうどのものを選ぶ。そして少し上に挑戦することによって読書力がどんどん独力で伸びていく。

最後に、0歳からの読書を組み込んだ、筆者が提唱する教育法が段階ごとに説明されています。興味深いです。

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