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「瞑想の心理学」(法蔵館)
序章「『大乗起信論』概説」の「大乗とはわれわれの心(衆生心)をいう」を読みました。

《以下引用》
…サンサーラの世界(生死の世界:此岸)からニルヴァーナの世界(涅槃の世界:彼岸)へと乗せて渡す大いなる乗り物は、他でもないわれわれ自身の心であると言うのだ。…苦行や善行に励み、功徳を積むことではなく、また瑣末な経典の研究や歴史的な解明に明け暮れるのではなく、自分自身の心をよく理解し、それと取り組むことが大切であると言っているのだ。…
《引用終わり》

親鸞ならば『大無量寿経』、日蓮ならば『法華経』というように拠り所とする経典を設定して大乗の教えを説くという手法を大乗起信論は取っていないそうです。経典を軽んじるわけではないでしょうが、「心なのだ」と言い切っています。その根底には「一切衆生悉有仏性」という考え方があるとのこと。

われわれには「真実の心」も「清浄の心」もない!と言う親鸞と矛盾するのではないか?ということも書いてあります。筆者は真宗を学ばれた方のようです。

そこで大乗起信論の言う「心」とは何か?という話になっていきます。

《つづく》