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くもんのすいせん図書(Gの48番)「晴耕雨読の読書法」の「第二章 こんなふうにして読んだら、どうか」を読みました。(小林教室収蔵

「オツベルと象」の全文と「飛ぶ教室」「君たちはどう生きるか」の一部が引用されていて、それを読んでもらって、作者なりの読み方を提案していくという流れです。

「オツベルと象」を読んでどんなことを感じ取ったか…
《以下引用》
君たちもたびたび経験したことがあると思いますが、私たちには、ときとして、十分説明された後であっても、なぜか腑に落ちない、といった思いになるときがあります。でも、こんなときでも、私はこの腑に落ちない感じのままでいればいいと思うのです。君たちの言語宇宙の網の目には、この言葉がくっきりと刻印されて、言葉は言葉同士で関係し合い反発し合い幾重にも言葉の関係の糸を太く結び合っていって、そうした中から、君たちは自分で自分自身だけの考えをゆっくりと織っていくのです。
《引用終わり》

名作と呼ばれる物を読むと、どうしても解説文を読んで、解釈の答え合わせをしたくなります。でも、そんな模範解答に自分を合わせるのは本末転倒。だから、読書は面白くなくなる、勉強も面白くなくなる、ということなのだと思います。

「腑に落ちない」感じ、釈然としないモヤモヤがとっても大切。

《以下引用》
君たちは、学ぶことにもっと自由であっていいし、学ぶことの強迫神経症から逃れるべきです。今、「逃れる」と言いましたが、もちろん、知識を身につけるのが学ぶことの本体であるという通念から逃れるのです。知識の森の深奥に逃げ込んではいけません。君たちは、森の暗闇を切り開いて、日だまりの、何もさえぎるもののない高原台地に立たなければならないのです。そして、学ぶこと自体を自分で作り出していきます。
《引用終わり》

「飛ぶ教室」にはユーモアがある…
《以下引用》
君たちが本を読むのは、自分自身のあるがままの姿を知るためです。しかも、その姿は前もって決められた理想像から引き出されてきたものではありません。そうした固定的な前提条件を壊して初めて見えてくるものです。

がんじがらめに枠の中に収められた自分自身からは、未来に通じる君たちの姿は見えそうにありません。この枠を少しずらすだけで、君たちのあるがままの姿が垣間見えてきます。多少暴力的に見えようとも、本から感じ取ったユーモアは、かえって、君たち自身の将来に向けての可能性を証明していると、私にはどうしても思えてくるのです。
《引用終わり》

読書も学習も、個人別の作業。「ちょうど」であることが最も重要です。

自閉症の恵子さんは活字に抵抗があって読書ができなかったので、公文の国語教材をお母さんが手書きで書き写し、それを何度も、暗唱するほど何度も読むことで、しだいに本も読めるようになっていった例が紹介されています。

《以下引用》
…恵子さんの力に「ちょうど」の読書を進めるために、教材が必要であったということです。教材が力を持つときというのは、学習するものの可能性の追求に役立ったときです。それ以外に教材の価値はないと言ってもいい。したがって、教材は無年齢制無学年制、可能性の追求だけがしやすくなる、すなわち、子どもの力に最もふさわしい学習が選べる教材でなければならないのです。学年以上の学習だって、したいときには、生徒が自習で学べる教材が必要です。こうした教材が用意されていることで、どの子にも学べるその子に「ちょうどの学習」が見つけられやすくなるからです。
《引用終わり》

「君たちはどう生きるか」では、自分で発見し、考える喜び。

《以下引用》
もともと、学ぶこと自体、世界のすべてのことに対して、なんのこだわりもなく疑問の問いかけを発するところからスタートします。なぜ?どうして?この君たちの質問の特権なくしては、教育などできようはずはないのです。そして、しばしば大人が驚かされるのは、君たちの疑問が常識で曇らされた私たちの目の曇りを一瞬拭い去ってくれるからなのです。君たちが教育の世界で、そのあるがままの存在を主張する権利があるというのは、このためです。

「現実を知れ」という言葉がありますが、現実イコール真実という公式を押しつけるのは、納得いがたいものです。こうした公式が意味する現実ほど、権力というものに近く、教育にとって障害となるものもありません。君たちは、それが真実であろうが、なかろうが、知りたいものは知ります。そして、そのための努力は惜しみません。君たちがこうした努力をしようとすると、必ず、物知り顔の人たちが行く手をさえぎり、君たちにはもっとふさわしい学習の対象があるのだと脅迫してきますが、構うことはないと思います。自分たちが感じた感覚を頼りにして、行き着く先まで進んでいってみようではありませんか。

君たちは、既に君たちの道を歩んでいます。これが、君たちの行動に指針を与え続ける現実なのです。じつに痛快です。君たちは、極限にまで、進んでいきます。君たちの現実は、既に現実世界を越えてしまっています。
《引用終わり》

こういったことを踏まえて、子どもに与えるべき「自由」を吟味しないといけませんね…。

《つづく》