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フェースブックなんかどこがいいんだ!みたいなことを書いてましたが、ここのところ夢中になってます(笑)

友達が「いいね!」と思ったものを見て、自分もいいと思えば「いいね!」「シェア」、ツイッターならば「RT」ということで、自分の友達に広がっていく…例えは悪いけど、これを咳やクシャミとみなせば、伝播のシステムはインフルエンザと同じ。

従来の新聞社や放送局から情報が放射状に発信される形から、情報の発信者と受信者が混在するクラウドのような形に変わりつつあるようです。

公文の国語教材に引用されている文章で、『情報化社会と言われる現代、情報(他人の意見)を受け取るばかりで、自分の意見を持つ暇もなく、右から左に情報を流しているだけで、自分の意見を主張しているような錯覚に陥ってはいけない』といった内容の論説を読みました。何年も前に書かれた文章でしょうけど、ツイッターやフェースブックの普及で、ますます拍車がかかりそうです。

シェアやRTは基本的には右から左への横流しかもしれませんが、「この情報を広めよう」という「自分の意志」は介在しますから、そこに微かな「自分」は存在しています。そこが微妙です。

先日のケータイを使ったカンニング事件に関する意見で、これからは知識を問うだけの設問ではなくその人の意見を書かせるような設問を出せばいいんだ、という意見がありました。

そうなると、「自分」というのが、やはり問われるようになってくる。

こんな確固たる「自分」の存在を前提とする社会で、「自分」の輪郭をぼかそうと仕向けられているようなツールを駆使して、「自分」の存在を妄想と説く教え(仏教)をクラウドの中に織り込んでいこうとしている自分…

「自分」とは何ぞや。