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くもんのすいせん図書(Gの48番)「晴耕雨読の読書法」の「第一章 読書から教育を考える。教育から読書を考える」を読みました。(小林教室収蔵

この本は公文式国語の解説書とも言えそうです。公文式の国語教材は、海外版では「Reading」と言われているだけあって、読みが重視されています。子供はどう感じるか分かりませんが、私の場合は勉強しているというより読書をしているという感じ。設問は文章の意味を読み取れているか自己確認できますから、かえって楽しい。私の場合は国語教材が一番楽しいです(疲れません)。

しかも、くもんのすいせん図書の一部が抜粋されていますから、その本を手にとって読んでみたくもなります。

それもそのはず。村田さん(筆者)の「読書は楽しくなかったらおかしいんじゃないですか?」という考え方を基に、公文の教材は作られているらしい。

自分が興味を持ったこと、知りたいことが分かった時の喜びは誰でも経験があるはず。そして、読書とはもともと、自分が興味を持ったことを知って行く作業であるはず。だとしたら、読書が楽しくないわけがない。

興味を持っていない本を無理矢理読んでいたり、読むからには何かを掴まなければいけないという決めつけがあったりして、それが読書をつまらないものにしているのではないでしょうか。

これは学校の勉強についてもピッタリ当てはまります。何歳になったら何と何を理解しなければいけない、というのが決められていて、興味関心の有無にかかわらず強制されます。しかも、チャイム(最近は使わない学校が多い?)に合わせて、みんな一斉に勉強しなければいけない。

嫌いになるのは当然ではないか?

読書は、自分の好きな時間に好きな本に向かうことができるという点で、楽しいはずだし、身にも付きやすいはず。教育は、読書を基本とした自学自習を中心に再構成すべきなのではないか?というのが筆者の考えのようです。

私も実体験からこれに賛成です。複雑な概念になればなるほど、私の場合は人から教えてもらって(授業を含む)はなかなか理解できなくて、自分で解説を読んだり問題を解いたりして理解してきたような気がするのです。

読書では、必ず何かを理解しなければいけないというわけでは無いんじゃないですか?とも筆者は言います。子供が絵本を読むように、何だかわからないけど、何となくこの本が好き!ということで、いいんじゃないか?何度も繰り返し読み返していいんじゃないか?

そんな読み方の提案が、第二章に書いてあるようです。

《つづく》