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「空海の夢」(春秋社)
「28.想像力と因果律」を読みました。

《以下引用》
想像力と因果律の対立は、現代におけるあらゆる現場を襲っている。人々が奔放な「おもい」や自由な「ねがい」を実行に移そうとすると、その多くが社会史の築いてきた力の関係によって阻まれることは誰もがよく知るところである。そこで人々はしかたなく因果律の範囲内で、因果律の形にあわせた想像力でがまんすることになる。あとは実行をまったくともなわない想像力が文化をうめつくす。
《引用終わり》

以下、外部の因果律に出会うことなく頭の中だけで妄想と化す「おもい」や、想像力を失った因果律に潰されそうな現代の人間たちについて述べられています。

《以下引用》
…私は本書において…空海の思想と生涯を右往左往をしながら追ってきた。そこに見えてきたこととは、一口に、そこでは「想像力と因果律の宥和」こそが懸命に追及されていたということだった。空海は人間本来の想像力が仏教本来の因果律と宥和しうることを確認しきったのである。これは想像力と因果律がさかしらに対立する現代の日々に身をおく者にとってはたいへんに衝撃的である。
《引用終わり》

「空海とホワイトヘッドの夢」という文章が付録として載せてありまして、ホワイトヘッドやデヴィッド・ボームの言葉を引きながら、「即身」について述べてあります。

肉体的存在としての自己と、精神的存在としての自己との間で起こる矛盾という説明の仕方もありましたが、束縛されるのは肉体的(物理的)要因とは限らないので、想像力と因果律という説明の方が適切かもしれません。それが仏教の出発点でしょうし、その宥和(妥協でも調停でもなく)が仏教の目標であるはずです。

《つづく》