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「唯識入門」(春秋社)
「序章.唯識思想の成り立ち」の「二.唯識思想の成り立ち」を読みました。

唯識と言えば世親ですが、もともとは小乗仏教の人で、説一切有部で出家したと思われます。著書の『(阿毘達磨)倶舎論』は有部の学説の綱要書となっています。

世親には無著という兄がいて、同様に小乗の教団で出家していましたが、早くに大乗へ転向し、唯識の学を修めました。無著に勧められて世親も大乗に転向し、無著に唯識を学んでいます。

瑜伽行派は大乗仏教の中ではおくれて成立したグループなので、それまでの大乗の学説を継承・総合することを看板としました(摂大乗)。これをタイトルにした『摂大乗論』は無著の主著です。

『摂大乗論』は大乗仏教のすぐれている点(勝相)を十種の方面から説くと宣言しています。それをノートしておきます。

1.所知依(しょちえ)
2.所知相(しょちそう)
「所知」は「知られるもの」「知られるべきもの」の意で一切法のこと。「所知相」は三性(遍計所執性・依他起性・円成実性)のこと。「所知依」は三性として知られる一切法のよりどころ、三性のあり方をあらしめる根拠。おおまかに言うと、「所知」が認識の対象(あるいは内容)、「所知依」が認識の主体の問題。唯識は、認識の主体と認識の対象との関係をどう考えるという問いに対する瑜伽行派の解答と言えます。

3.入所知相(にゅうしょちそう)
所知の相に入る、唯識をさとる、それになりきることを意味します。唯識観の実修です。

もの(一切法)をどう見るかという仏教に一貫する課題に対し、ブッダは「ものは縁起している」と教え、竜樹は「一切法は空である」と解釈したが、瑜伽行派は「一切法はただ識の現わし出したもの」としたということです。

4.彼入因果(ひにゅういんが)
「彼」は所知相すなわち唯識性、それに入るための実践修行の因と果という意味。具体的には六波羅蜜の実践。

5.彼修差別(ひしゅしゃべつ)
「彼」は前項の六波羅蜜のことで、六波羅蜜の修行によって菩薩は次第に修行の階位が進んでいく、その上下の差異を意味する。階位とは『華厳経』の「十地品」に説く十地のこと。

6.増上戒学(ぞうじょうかいがく)
7.増上心学(ぞうじょうしんがく)
8.増上慧学(ぞうじょうえがく)
これらは第5項までとは別の形の修行論で、三学の戒・定・慧に相当します。「増上」とは「付加的な」とか「さらに深められた」という意味です。

9.果断(かだん)
10.彼果智(ひかち)
以上の修行の果と示されるものです。「果断」は「その修行の果としての断惑」を意味し、涅槃に相当します。「彼果智」は「果としての証智」を意味し、菩提に相当します。

《つづく》