「空海の風景」(中公文庫)
「下巻の三十」を読みました。
《以下引用》
…(空海は死の一年ほど前に)奈良の学徒にしきりに講義し、とくに東大寺真言院において法華経を講じているのである。…法華経は空海にとって専門外の顕教の――さらには最澄が天台宗の根本経典にしたところの――経典で、これを講義することじたいがひとびとに意外であった。しかも空海はこの講義においてじつに入念で、『法華経釈』という解釈論まで書きおろしたほどであった。ついでながらこの作品は空海にとって最後の著作となった。察するに、
「いままで顕教とか法華経などくだらないと言いつづけてきたが、すこし修正しなければならないかもしれない。顕教もまた重要であり、法華経はわるくないものだ」
という気分が、この著述に溜息のように洩れてくるように思えるのである。空海はあたかも手だれの政治家のように政治的にはしばしば妥協したが、教学的には研ぎすまされたはがねで論理を構築するようで、妥協ということをいっさいせず、法華経講義はその意味で異変といってよかった。…空海の軟化はこの時期、弟子たちに対し、「顕教をも外教として学べ」(密ヲ以テ内ト為シ顕ヲ以テ外ト為シ、必ズ兼学スベシ。コレニ因ツテ本宗ヲ軽ンジ、末学ヲ重ンズルコト勿レ――御遺訓九箇条のうち――)とまでいっているほどで、以前のかれの体系に対する厳格さからは想像しがたいほどのことであった。
《引用終わり》
真言宗が存在感を増すにつれて、頑なに守りつづける必要も薄れてきたでしょうし、自分の死後は顕教と共存していってもらいたいという気持ちの表れではないでしょうかね。「狭キ心」ではなかったと思いたいです。
《つづく》
「下巻の三十」を読みました。
《以下引用》
…(空海は死の一年ほど前に)奈良の学徒にしきりに講義し、とくに東大寺真言院において法華経を講じているのである。…法華経は空海にとって専門外の顕教の――さらには最澄が天台宗の根本経典にしたところの――経典で、これを講義することじたいがひとびとに意外であった。しかも空海はこの講義においてじつに入念で、『法華経釈』という解釈論まで書きおろしたほどであった。ついでながらこの作品は空海にとって最後の著作となった。察するに、
「いままで顕教とか法華経などくだらないと言いつづけてきたが、すこし修正しなければならないかもしれない。顕教もまた重要であり、法華経はわるくないものだ」
という気分が、この著述に溜息のように洩れてくるように思えるのである。空海はあたかも手だれの政治家のように政治的にはしばしば妥協したが、教学的には研ぎすまされたはがねで論理を構築するようで、妥協ということをいっさいせず、法華経講義はその意味で異変といってよかった。…空海の軟化はこの時期、弟子たちに対し、「顕教をも外教として学べ」(密ヲ以テ内ト為シ顕ヲ以テ外ト為シ、必ズ兼学スベシ。コレニ因ツテ本宗ヲ軽ンジ、末学ヲ重ンズルコト勿レ――御遺訓九箇条のうち――)とまでいっているほどで、以前のかれの体系に対する厳格さからは想像しがたいほどのことであった。
《引用終わり》
真言宗が存在感を増すにつれて、頑なに守りつづける必要も薄れてきたでしょうし、自分の死後は顕教と共存していってもらいたいという気持ちの表れではないでしょうかね。「狭キ心」ではなかったと思いたいです。
《つづく》
コメント
コメント一覧 (4)
よくある、知ったかぶりの方に当たってしまったようですね。。
自分が一番知ってて正しいのだ!という本音が、おろかな我執だらけの無智者の姿そのもの、丸見えです。
アホよばわりには、はい、はいと逆らわず、一番悟りから遠いかわいそうな方だと慈悲、哀れみの心でいられることは素晴らしいことです。
ここでアホよばわりに「怒れば」、自分も同じ慢心と我執に囚われてしまう事によく、気づかれて、こうした避難や悪口には、単に何かの音が過ぎさっていったと捉えたいものです。
僧侶でも時に、他宗教や他宗派を酷い言葉で避難する方がたまにいますが、仏教の三毒への戒めからいつのまにか、つい離れてしまうのが、人間です。怒りは、慢心である事、いつも気を付けたい、考えればありがたい良い教訓の例ですね。批判と避難は全く違います。批判はアクナキ論破が目的ではなく、是非の提示・確認を示す事です。きちんと理にかなっていれば、お互いに了解し合え、互いに感謝と、切磋琢磨が出来るものです。
金鷹さんが反論されているのは、私が司馬遼太郎の著作から引用した内容に対してだと思われます。
この引用部分からだけでは分かりにくかったのかもしれませんが、これは晩年の空海が法華経の講義をしたことに対して当時の人々はこう捉えたのではないかという司馬遼太郎の推測です。
ですから、これはこれでいいのではないかと私は思います。司馬遼太郎ファンとしては、彼の推測が史実に反するとしてもそれなりに興味深いし、小説としては面白いと思います。
金鷹さんの考えについては、私は特に批判できる知識は持っておりません。それをもってアホとおっしゃるのなら、そうなのでしょう。
そもそも、アホなるが故に、凡夫として生死の世界に生まれ、さとりを開けずにいるわけですし。