ブログネタ
司馬遼太郎を読む に参加中!
「空海の風景」(中公文庫)
「下巻の二十四」を読みました。

最澄という人は、飽くまでも日本国内の人という感じがします。唐に渡っても、長安に立ち寄りもせず、必要な書物の収集に専念しました。密教の伝法にしても、おそらく空海が恵果から二カ月足らずで受け継いだ点だけに着目し、自分もそれで済むと思っている。

《以下引用》
最澄は、天台という顕教をすてて真言という密教に転身する気はなかった。ただかれは国家が正規に採用したかれの天台宗において、採用試験の部門に国家の要請で(おそらく)「遮那業」という密教科を入れたため、責任上、自分自身がそれを学ばねばならぬとしているだけのことなのである。できれば資格だけほしかった。
《引用終わり》

書物だけで習得するのが、日本では当たり前だったのかもしれません。でも、中国でもインドでも、それは通用しませんでした。

空海はグローバルな人でした。漢語もこなし、サンスクリット語さえも理解する。密教にしても何十年と独習している。その卓越した能力があればこそ、伝法も二カ月で済んだのです。恵果千人の門人で伝法灌頂を受けたのは6人だけということですから、その他の人は何年修行しようがだめだったのです。

能力主義だったと言えるかと思います。それを思えば、「あと何カ月で伝法してもらえますか?」という最澄の質問は非常識です。私なら「それはあなたしだいでしょう!」と答えますが、空海は「三年」と答えました。これは親切と言うべきか不親切と言うべきか。

根本的に視点が違うので、二人の亀裂は深まるばかりです。

《つづく》