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「空海の風景」(中公文庫)
「下巻の二十」を読みました。

この章は朝廷の中のドロドロとした人間関係が描かれています。

まず、空海その人について。空海の母方の血筋に玄ぼう(日へんに方)という人がいたのですが、奈良朝の頃に政界で力を持ち、藤原氏をも凌ぐほどでした。歴史的には道鏡の事件が有名ですが、その三十年ほど前に玄ぼうは藤原氏によって筑紫に追われています。

若いときから秀才で、留学生として入唐し、長安のサロンでも評判になり、おびただしい仏書を持って帰国した…空海とそっくりなのです。最澄の独壇場となっている朝廷を何とか元に戻したいと考えている奈良仏教の人々にとって、ことのほか空海は特別な人であったことは間違いありません。

その他、朝廷内のゴタゴタも書いてありますが、それは本書を読んでいただくこととします。

《以下引用》
空海はあるいは、言葉に出して、
――朝廷も国家もくだらない。
といったかもしれない。

空海はすでに、人間とか人類というものに共通する原理を知った。…空海自身の実感でいえば、いまこのまま日本でなく天竺にいようが南詔国にいようがすこしもかまわない。空海がすでに人類としての実感のなかにいる以上、天皇といえどもとくに尊ぶ気にもなれず、まして天皇をとりまく朝廷などというちまちまとした拵え物など、それを懼れねばならぬと自分に言いきかす気持さえおこらない様子なのである。

日本の歴史上の人物としての空海の印象の特異さは、このあたりにあるかもしれない。言いかえれば、空海だけが日本の歴史のなかで民族社会的な存在でなく、人類的な存在だったということがいえるのではないか。
《引用終わり》

《つづく》