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ドラッカーの思想は仏教思想の中にもあるのでは?ということを書きましたが、今回は科学技術について考えてみたいと思います。

仏教思想はあらゆる思想を含むと言われ、科学と仏教の類似もよく指摘されるところです。先日仏教との類似を指摘したドラッカーの経営思想は、科学技術とも似ていることに気付きました。

その人がどんな性格の人かを分析し、考慮し、それぞれがそれぞれの持ち味を出し合えるように、組織の中で人間を配置していく。

これがドラッカーの全てではないでしょうけど、ドラッカーを踏まえた経営テクニックのひとつであるとすると、科学技術も全く同じことなんじゃないでしょうか?ということです。

人を物質に置き換えればいいのです。その物質がどんな性質を持っているかを分析するのが「科学」の一分野です。高温に加熱するとどうなるか、高圧に加圧するとどうなるか、純度を上げてみてはどうか、他の物と混ぜてみてはどうか、現象の再現性はどうか…。

物質の性質が分かったところで、これらを組み合わせて、求められる機能を持ったシステムを構築していくのが「技術」です。

これはまさに法隆寺を造り上げた職人技と同じでありますし、「樹の癖組み」を「人の癖組み」にまで発展させたときに哲学思想として成立します。

買った製品(科学技術によって構築されたシステム)がうまく機能しなくなると、すぐにメーカーにクレームをつけたり、捨ててしまったり、が当たり前の昨今です。

それを間違いだとは言いませんが、造り上げた職人技に感嘆し感謝することは少なくなりました。壊れたのを幸いに、分解して中身を知りたいという好奇心も失せてしまったような気がします(もちろん最近の製品は微細モジュール化してしまっていて、電気屋さんも修理できないような代物が多いから、仕方がないのですが)。

もともとバラバラに存在する物質群を組み合わせて、スイッチを入れたら確実に動くものに仕上げているの科学技術です。非常にレベルの高い職人技なのです。動かないのが当たり前の物を、動くのが当たり前の物に仕上げている。

ところが、動くのが当たり前の物が身の回りに余りにも多いものだから、動かない物を見ると多大なストレスを感じ、あたかもその存在自体が許されないかのように思い、怒りを露わにする。

これは、間違いですよね…。

私たちは、知らず知らずのうちに、人間に対しても、こういう態度を取っているんじゃないでしょうか。

《つづく》