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「空海の風景」(中公文庫)
「下巻の十七」を読みました。

空海の長安滞在中に、日本国から使者が来ました。遣唐使ではなく、単なる使者。この人たちと空海は帰国することになります。留学生としては20年くらいは滞在することになっていましたから、二年にも満たない滞留で帰って来るのは異例中の異例。罰せられてもおかしくないことだったようです。

しかし、空海は帰ってきます。桓武天皇による度重なる遷都などで国家財政は疲弊し、次の遣唐使をいつ出せるか分からないという状況でした。空海は既に入唐の目的を達成しており、すぐに帰って日本で活動したいと主張し、それが認められたということでしょう。実際、その後30年間、遣唐使は途絶えており、このタイミングで帰らなければ、空海は二度と帰国できなかったと考えられます。

帰国は唐の皇帝の許しも必要になりますが、「朕はこの僧をとどめて自分の師にしようと思っていた。しかしひきとどめるわけにはゆくまい。」と言われたとのこと。

《以下引用》
空海は、その書芸においても詩文においても、華麗さを楽しみ、花や玉の美しさを創造することができる人であり、その才華は長安の都市美のなかにおいてこそ輝くことができ、さらには長安の人士と詩文を交換しあうときにこそ充足を見出すものであったであろうことは想像に難くない。これだけの才華が、陋隘な故郷をめざすというのは、ことさらかれの道心を別にして考えれば、身をひき裂かれるような思いであったろうか。
この時代の唐の才能のある人士は、長安に居ることに固執した。官を辺境に得て長安を離れねばならない者はその詩でその悲しみを歌い、地方勤務の長い者は長安を恋うるの詩をつくり、長安にいる者も、長安に居つつもなお飽くことなく長安の美を詩の中でうたいつづけた。きわだった芸術的才能をもつ空海が――つまり芸術家としての空海の半身が――長安を離れるにあたって何の感慨ももたなかったということは、むろん考えられない。
…《引用終わり》

それでも、空海は長安を後にします。日本に密教を伝えたいという願いは変りませんでした。

《つづく》