ブログネタ
司馬遼太郎を読む に参加中!
「空海の風景」(中公文庫)
「下巻の十六」を読みました。

《以下引用》
…インドにおいては、その後の人類が持ったほとんどの思想が、空海のこの当時までに出そろってしまっているが、それらの思想は、当然、言語に拠った。厳密に整理され、きびしく法則化されてきたサンスクリット語によって多くの思想群が維持され、発展してきたが、空海がすでに日本において学びつくした釈迦の教えやそれをささえているインド固有の論理学や認識学も、さらに蘊奥を知るには中国語訳だけでなくこの言語に拠らねばならない、ということは、インド僧だけがそういうのでなく、インド的体温のまだ冷めないこの時代の唐の仏教界では中国僧もそう思っていたにちがいない。
《引用終わり》

恵果に会わずに「置きっぱなし」にしていた5カ月間、空海は、世界中のものが揃っていた長安という都において、その好奇心と吸収力を存分に発揮したようです。そして密教習得に不可欠なサンスクリット語(梵語)も、インドの僧から習っていたようです。

《以下引用》
…恵果の空海に対する厚遇は、異常というほかない。
空海をひと目みただけで、この若者にのみ両部をゆずることができると判断し、事実、大いそぎでそのことごとくを譲ってしまったのである。空海は日本にあってどの師にもつかずに密教を独習した。恵果は空海を教えることがなかった。伝法の期間、口伝の必要なところは口伝を授け、印契その他動作が必要なところはその所作を教えただけで、密教そのものの思想をいちいち教えたわけでなく、すべて空海が独学してきたものを追認しただけである。空海の独学が的外れなものでなかったことを、この一事が証明している。
《引用終わり》

奇跡のような偶然の積み重ねが空海という一点に集結し、密教は日本にもたらされました。余りにも偶然が重なり過ぎているがゆえに、何か大きな「必然」に見えてしまいます…。

《以下引用》
…空海は、恵果から、一個人としてゆずりうけたのである。…
空海の帰国後の痛烈さは、こういうことにも多少理由があるであろう。かれは、その思想が宇宙と人類をのみ相手にしているというせいもあって、国家とか天皇とかという浮世の約束事のような世界を、布教のために利用するということは考えても、自分より上の存在であるとは思わず、対等、もしくはそれ以下の存在として見ていた気配があるし、また国務でもって天台を導入した最澄に対し、空海の天台体系への仏教論的軽視ということはあるにせよ、ごくつまらぬ存在であるかのようにあつかったのは、このあたりに根のひとつを見出しうるかもしれない。
空海は、極端にいえば私費で、そして自力で、密一乗を導入した。
《引用終わり》

空海の奇跡はまだまだ続きます。

《つづく》