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「仏教入門」(東京大学出版会版)
「八章 修行者の理想像」を読みました。

アビダルマ教学確立の中で組織化された修行者の階位がいろいろあるようですが、それは本書を読んでいただくことにします。

ブッダ以来、出家の修行者の最高位は阿羅漢であり、阿羅漢になっても仏にはなれないと考えられてきました。これに対し、大乗は、万人に仏と同じ阿耨多羅三貘三菩提を得ることを究極の目的とさせ、発心したかぎりでのすべての修行者を、悟る前の仏と同じ「菩薩」と呼びました。

この菩薩の階位もいろいろあり、『般若経』では四位、『華厳経』では四十二位が並び、『梵網経』では五十二位、等々あるそうです。

ですが、大乗経典中最も強調されていることは、「菩薩はその衆生済度の誓願のあついゆえに、自ら仏となるより先に、すべての衆生を彼岸にわたそうと努める存在である」ということです。「智慧によって、生死に住せず、慈悲によって、涅槃に住せず」といわれ、生死にも涅槃にもとどまらないがゆえに、菩薩のあり方を「無住処涅槃」と称しています。これが利他に生きる菩薩の理想像です。

《以下引用》
…菩薩はすべてが行の完成者なのではない。そもそも発菩提心したのが菩薩であるから、そのままでは凡夫の菩薩であり、しかもその数は無数である。実はすべての衆生が菩薩となりうるし、菩薩とならなければならない。そこに大乗仏教の理想があるといえよう。このことは『法華経』において高らかに強調され、やがてそれが如来蔵思想を生む母胎の一つとなった。いわゆる「一乗」の教えである。
《引用終わり》

唯識説は三乗説を唱えているようなのでメモっておきます。

《以下引用》
…しかし、インドの大乗仏教の歴史を見ると、三乗説もなかなか根強い。これは先天的な種姓というよりも、行のむずかしさを主張し、行の重要性を強調するところに由来するのである。現実の人間のあり方を直視するとき、いかに執着をなくし、苦を滅し、悟りをひらき、仏となるのが困難なことか、衆生がいかに仏とは遠く隔たった存在であるかが容易に想い起こされる。それに打ち克つ行こそが仏道であると見る人びとは、三乗説にこそ真実を見出している。その代表が唯識説を説く瑜伽行派である。…
《引用終わり》

階位を設けることは、修行の道のりが遠いことを示しながらも、修行者のモチベーションを下げさせない工夫として、意味があるのかもしれません。

《つづく》